今回の国葬にはいろいろ疑問だらけでしたが、菅さんの友人代表としての挨拶には胸打たれました。胸打たれたのは、むろん「安倍首相、あなたこそ真のリーダーです」といったことばではなく、無二の友をあのようなかたちで突然失った者としての心情が、誤解を恐れずに言えば、あたかも恋文のように切々と表現されていたからです。あれほどの表現力を、官房長官時代、あの木で鼻をくくったような答弁しかしない菅さんが持っていたとは、とほんとうに驚きました。弔辞を書くのを助けた人がいたとしても、です。多くの人たちが、同じような感想を持たれたようですね。
とくに、この部分の表現。
あの運命の日から80日が経ってしまいました。
あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
日本文学史に残るような弔辞だと思いました。ほめすぎかなあ。
他方、今回の国葬の問題点については、歴史家の保坂正康さんが「私物化」「反歴史性」「総理の業績」という三点から、しっかりと書いていらっしゃいます。