苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

保阪正康、 東郷和彦『日本の領土問題 北方四島、竹島、尖閣諸島』


 昨日、上京する用事があったので電車の往復で読んだ一冊。著者の一人保坂正康氏は昭和史の大家。左翼だ右翼だという色分けの付くような読む前から結論がわかる歴史家ではなく、事実を冷静に把握することに努め、かつ、ひざを打たせる洞察が以前から気に入っていて、わたしの本棚に何冊ある。文書史料を丁寧に押さえると同時に、文書史料から漏れた同時代に生きた人々の証言をも地道に収集をもしてきた点も、好ましい。また、文体が素人の私にも読みやすい。どうも、私は文体に対する好悪がはっきりしているらしい。
 もうひとりの著者東郷和彦氏は、現場でソ連・ロシア相手に交渉をしてきた外務官僚であり、今は大学教授。第二次世界大戦終戦時に外務大臣を務めた元外交官の東郷茂徳は祖父にあたる。
 本書前半は、東郷和彦北方四島竹島尖閣諸島という三つの領土問題について史料と現場の経験をふくめて平明に書いている。後半ではそれを前提にして東郷氏が保坂氏の胸を借りるかたちで対談が進められ、単に過去の話のみならず、今後の解決の糸口について提案をいくつかしている。この対談も冷静であるが活気があって小気味よい。
 本書を読んで、私にとっての収穫は、三つの領土問題は、それぞれ国の立場によって性格を異にしているという説明だった。細かい点では異論はあるけれど、大雑把にはこういうふうに捉えるという意味で。
 北方四島の本質は、ロシアにとっては経済・軍事的権益をめぐる「領土問題」であるが、日本にとってはむしろ先の大戦末期のソ連から受けた屈辱を晴らし決着をつけるための「歴史問題」である。(追記:ロシアにとっては日露戦争の屈辱を晴らす意味では「歴史問題」という面もなくはないし、四島のもとの住民はアイヌということまでいえばさらにややこしいが。)
 韓国にとって獨島問題の本質は権益にかかわる「領土問題」でなく日本から受けた屈辱にかかわる重大な「歴史問題」であるが、日本にとって竹島問題は漁業権益をめぐる「領土問題」にすぎない。つまり、韓国は1905年の竹島併合を1910年の韓国併合の布石としてとらえている。だから、多くの日本人には韓国人がなんであんな石の島に特別の情念をもっているかが理解できない。(追記:もちろん戦後李承晩ラインが引かれたあと日本人漁業者が銃撃されて死傷した事件を記憶する日本人にはそうは行くまいが。)
 そして、尖閣諸島問題は、本質的に、中国にとっても、日本にとっても本書が書かれた頃までは「領土問題」であって、「歴史問題」ではない。中国が尖閣諸島について領有権を主張し始めたのは、1971年、海底に油田があることがわかって後のことである。また、これは本書に指摘されてはいないが今日では中国の潜水艦が太平洋に出る通路という軍事的意味もあると聞く。だが、最近は中国政府は尖閣諸島をも日清戦争にからめて歴史問題にしようとしてきているからややこしい。(追記琉球王国のことをまじめに考えようとすると、そんな簡単な話ではないが)
 国の立場によって、それぞれの領土の問題の見え方が異なる。このことをまずは理解してこそ、相手に通じることばを発することもできようし、適切なタイミングを見極めることもできよう。現政権の硬直・拙劣な外交を見ると、その点に欠けがあると思う。
(2012年2月、角川書店、762円)

追記
 いうまでもないことですが、筆者は東郷氏、保坂氏の意見にみな同意しているわけではありません。本書で特に、ほおっと思ったのは上に書いた大づかみな捉えかたのこと。