苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

旭川・塩狩駅訪問2017年9月5日

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              ↑三浦綾子記念館

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三浦綾子記念館の横のストローブ松
「風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝いて、つくりつけたように動かない。ストローブ松の影が、くっきりと地に濃く短かった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。」(氷点冒頭)

  

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              『氷点』の原稿

 

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三浦綾子さんの雑貨屋

 

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宗谷線塩狩

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長野政雄氏殉職の碑

 

 

 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」(ガラテヤ2章20節)

 

 信州から北海道に転じてきて、どうしても訪ねたい場所がありました。それは塩狩峠です。高校三年生の夏休み、私は毎日神戸大倉山の図書館の学習室に通っていましたが、ある朝、途上の坂道の小さな珈琲店の前で、三十歳ほどの男性に呼び止められました。「今日、文化ホールで午後三時からキリスト教映画を無料で見られますよ。お友だちも誘ってきてください。」と言うのです。

 インターネットはおろかホームビデオもなかった時代、無料で映画を見られるというのは、魅力的な勧誘でした。そこで、その日は勉強を早めに切り上げて、図書館に来ていた同級生二人といっしょに図書館の隣にある神戸文化ホールに出かけていきました。

 映画『塩狩峠』を観て、印象に残ったことが二つありました。一つは、雪が降りしきる夕刻、旭川駅前で路傍説教をする牧師が引用した、主イエスの十字架上のことば、「父よ。彼らを赦してください。彼らは自分で何をしているのかわからないのですから。」です。もう一つは、主人公が身を挺して、峠を逆走し始めた客車を止めたとき、雪に飛び散った鮮血でした。 

 映画を見たあと、神戸駅へ向かう石畳の下り坂を三人歩きながら話しました。同級生二人は、「俺はあんな死に方できひんなあ。」と言っていました。私は愚かにも心中、「ぼくならできるかもしれない。」などとつぶやいていたのです。

 しかし、その一か月後、私は身辺で起こった痛ましい出来事に直面して、自分がいかに利己的な人間であるかということを思い知らされました。そして、生きる意味を探し求めざるをえなくなりました。そのとき浮かんで来たのは主イエスの十字架のことば「父よ。彼らを赦してください。」でした。この世にも、私自身のうちにも真実の愛はないけれど、もし真実の愛があるとすればあの十字架のキリストにこそあるのだろうと思いました。受験は失敗し、翌年晩夏、私は牧師と面談し、さらに翌年一月から礼拝に通うようになり、キリストを信じたのです。

 あれから四十年、塩狩峠駅の石碑の前に立って、私は胸の中で、「神様。ようやくやって来ました。」と祈りました。石碑には次のように刻まれていました。

 「明治四十二年二月二十八日夜、塩狩峠に於いて、最後尾の客車、突如連結が分離、逆行暴走す。乗客全員、転覆を恐れ色を失い騒然となる。時に、乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。『苦楽生死均しく感謝、余は感謝してすべてを神に捧ぐ。』右はその一節なり。三十歳なりき。」

 長野政雄氏が神と隣人に命をささげた後、多くの鉄道員たちがキリスト信仰に入ったそうです。そして、三浦綾子さんの『塩狩峠』はこれまでどれほど多くの人を主のもとに導いたことでしょう。回心者がなかなか起こされない時代、私たちは伝道の方策をいろいろ工夫しますし、それはそれで意義ある努力でしょう。しかし、何よりの伝道は、キリスト者としての生き方、そして死に方なのだということを、塩狩峠の石碑の前で思わされました。二月二十八日は長野政雄兄の殉職・殉教の日です。(『世の光』2021年2月号)