苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

川瀬一馬校註『方丈記』『徒然草』『花伝書』

 高校1年生の冬休みだったか、川瀬一馬校註『方丈記』を通読して、国文学者になるのもいいなあ、などと思ったものです。川瀬一馬先生の経歴に東京高等師範とあったのが、後に進学先をきめるきっかけとなりました。
 川瀬一馬先生は小学生時代に両親を失い、卒業と同時に東京の役所に給仕として就職しますが、特異な才能を見出してくれる人に出会い、東京高師に進むことになります。当時は一高―帝大コースはごく少数のお金持ちの家の秀才だけが行ける超難関で、庶民の秀才が進むの超難関は高師だったそうです。というのは高師は学費支給制度があったからです。先生は、ずっと市井の研究者として多くの研究業績をあげられ、『古辞書の研究』で博士となられます。
 大学時代、川瀬一馬先生にお手紙を差し上げ、その後、一度、実際にお目にかかりました。小柄なおじいさんでした。当時、私は誰にでもキリストをあかししたいと思っていたので、お話したところ、なんと先生もキリスト者だったのです。そして、「わたしの聖書の勉強は渡辺善太全集を読んだだけです。」とおっしゃいました。
 『方丈記』の魅力は、まず、その文体です。「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びてしかももとの水にあらず」。もう一つは、長明と言う人は隠遁者といいながら、隠遁しきれずに、大飢饉、地震、大洪水などで荒廃した都に出かけて行ってその様子をルポルタージュしている点です。古文は苦手と言う若い人も、方丈記なら短く読みやすいのでさらりと通読すれば、アレルギーが治るかもしれません。

 世阿弥花伝書』は「秘すれば花なり、秘せずんば花なるべからず」という演出家としてのリアリズムが面白かった。「花」とは演出効果です。「秘すれば花なり、秘せずんば花なるべからず」というのは、「すばらしいことも秘するのがおくゆかしい」ということではなくて、「大したものでなくても秘することによって、素晴らしいことのように見える」というのですよ。おもしろいですね。

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