苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「雨ニモ負ケズ」と讃美歌121番

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」のモデルとしたのは、斎藤宗次郎という人だそうです。彼は内村鑑三の弟子で、岩手県花巻の人です。彼は、雨にも風にも雪にも負けず新聞配達をして、この「雨ニモ負ケズ」に書かれたような生き方をしていたそうです。賢治はあのように生きられたらという憧れをもったのでした。

私は、二十数年間、讃美歌121番を歌うたびに、「雨ニモ負ケズ」と重なるものを感じて、なぜだろうと考えていました。

1 まぶねの中に産声あげ 匠の家に 人となりて
 貧しきうれい 生くるなやみ つぶさになめし この人を見よ
2 食するひまも うち忘れて しいたげられし 人をたずね
 友なき者の友となりて 心くだきし この人を見よ
3 すべてのものを 与えしすえ 死のほか何も報いられで
 十字架の上に かけられつつ 人をゆるししこの人を見よ
4 この人を見よ この人にぞ こよなき愛はあらわれたる
 この人を見よ この人こそ 人となりたる生ける神なれ

特に2節です。
 それが、宮沢賢治が、キリストのように生きようとしていた斎藤宗次郎を見て、あの詩を書いたのだと知って、ようやくつながったのです。讃美歌121番は私の愛唱讃美歌なのですが、歌うたびにイエス様のありがたさとともに、自分がまったくそういう生き方が出来ていない申し訳なさを感じて涙が出てしまいます。

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