苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

上って行かせてください

 創世記最終章を読んでいると興味深い動詞が一つある。「上って行く」ということばである。ヘブル語でアーラーという。ヨセフが父ヤコブを葬るためにエジプトからカナンの地へ行くことを「上っていく」と表現している。5節、6節、7節、8節、9節でこのことばが繰り返されている。ここで「上っていく」ということばが用いられていて、しかも、これほど短い箇所で多数回繰り返されているのだから、これは明らかに意図的なことである。
 当時の世界の勢力図からいえば、どう見てもエジプト王国からカナンの地に行くことは「下っていく」ことであったと思う。しかし、ヨセフの意識、創世記記者の意識の中ではエジプトからカナンの地に行くことは「上っていく」ことであった。それはこのカナンの地が、主が彼の一族に賜った約束の地だったからにちがいない。たとい巨大な建造物も富も権力もなくても、そこは、神が選んだ地であるゆえに、カナンの地は他のいずこよりも高いところであった。