イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、・・・・(創世記27:1)
この一行は、イサクが単に白内障で肉眼が見えなくなったことを指すだけでなく、残念ながら、その霊の眼も見えなくなっていたことを暗示しているように思える記事が続く。彼は、二人の息子が妻の胎に宿った時、すでに弟に神の選びがあることを聞かされていた。それにもかかわらず、イサクは神のおことばに背いて、あえて自分のお気に入りの長男に祝福を与えようとしたのである。
老化が霊眼にまでも及んでしまうことがあるとみるべきなのだろうか。対照的なのはヤコブの最期のときのことである。彼の霊眼は年老いていよいよ冴えわたっていく。