苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

主の再臨への備え 3点

4:1 終わりに、兄弟たちよ。主イエスにあって、お願いし、また勧告します。あなたがたはどのように歩んで神を喜ばすべきかを私たちから学んだように、また、事実いまあなたがたが歩んでいるように、ますますそのように歩んでください。
4:2 私たちが、主イエスによって、どんな命令をあなたがたに授けたかを、あなたがたは知っています。


4:3 神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、
4:4 各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、
4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、
4:6 また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し、きびしく警告しておいたところです。
4:7 神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。
4:8 ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊をお与えになる神を拒むのです。


  4:9 兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。
4:10 実にマケドニヤ全土のすべての兄弟たちに対して、あなたがたはそれを実行しています。しかし、兄弟たち。あなたがたにお勧めします。どうか、さらにますますそうであってください。


4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
4:12 外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。(1テサロニケ4:1−12)

 テサロニケ書は再臨信仰の書である。4章後半13節以降では、主が再臨し、聖徒が主の御許に引き上げられることが語られる。では、主の再臨を迎えるにあたり、どういう生活が主に喜ばれるかということが、上に掲げた1節から12節に記されている。3点ある。聖化の三側面ということができる。
 第一は、この世的な汚れに染まるなということである。テサロニケもまたギリシャ風の淫靡な風潮のある町だったようである。
 第二は、主にある兄弟愛をますます実践しなさい、ということである。第一が聖化の消極的側面だとすれば、こちらは積極的側面である。汚れを引き算し、愛を足し算していく。
 第三は、再臨近しという意識のあまり浮き足立って、社会的責任を放棄してはならないということ。落ち着いた生活をすべし。この世に溺れず、しかし、地に足の着いた生活をせよ。