「キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれた者である」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:13,14)
1.キリストの十字架の呪われた死は、私たちを律法の呪いから贖いだした。
2.その目的は、異邦人が信仰によって約束の御霊を受け、アブラハムへの祝福を受けるためだった。アブラハムへの祝福とは、神の子ども即ち世界の相続人となることである。
キリストの十字架の目的は、律法の呪いから我々を解放する(つまり、罪を赦す)だけではなく、罪を赦して、約束の御霊を与えて我々を神の子どもとし、世界を相続させることである。本来、人は神のかたちである御子(コロサイ1:15)に似た者として造られ、世界を相続しこれを治める任務があった(創世記1:26,27)。
ところが、人は神に背いて、その任務を果たすことができなくなった。そこで、キリストはわれわれを本来の任務に立ち返らせるために、十字架でのろいを受け、かつ、復活・昇天・着座して、父のもとから約束の子とする御霊を与えられた。
罪赦されてよかったとだけ喜んでいるだけでなく、神の子どもとして、地の塩、世の光として、みこころが地に成るために、置かれた持ち場において生きること、これが天の父が期待されていることである。
「みこころの天に成るごとく、地にも成らせたまえ。」