苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

十字架のことば

「十字架のことばは、滅びにいたる人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」1コリント1章18節


 使徒パウロはコリント教会宛の手紙において、最初のあいさつを終える(1:1−9)と、コリント教会から聞こえてくる分裂問題を扱うことにする。「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストに」とコリント教会は内部分裂しつつあった。
 この分裂問題に対処するにあたり、パウロキリスト者キリスト者たる原点に立ち返らせる。それは十字架のことばである。なぜ、コリント教会で分裂が生じていたのか?その根本原因は何か?と言えば、パウロの見立てでは、彼らがそれぞれに自らを賢いと誇っていたことにある。俺のほうが賢い、私のほうが賢いと思っているから折り合えない。
 そこでパウロは問いかける。そもそも、あなたたちはなにによって救われたのか?「十字架のことば」つまり、世間ではそんなこと信じて、バッカじゃないの?と言われているキリストの福音によって救われたのではないか、と。ならば、なぜ私が賢い、俺のほうが賢いなどと競い合って仲たがいしているのか、と。
 知性は、ギリシャ文化を背景としたコリント教会の強い点であり、かつ、弱点でもあった。人は自分が一番得意だと思っている点において、もっとも過ちやすい。それは傲慢になるからである。