苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

通信小海の読者から

 北海道苫小牧に転じることになり、今月号で270回の通信小海の筆を置きましたら、読者から数通のおたよりをいただきました。二通だけここに写真を載せておきます。


 通信小海はたいていは社会面、福音面、家庭面という三つの記事と、毎回野宿者支援食料寄付の呼びかけで構成しました。そうして、どの文章にも聖書のことばを入れました。二つの意図があります。
 第一は、伝道のためです。一般恩恵の器に特別恩恵(福音)を入れて運ぶことだということで、社会面、家庭面、野宿者支援は一般恩恵、福音面が特別恩恵でした。結果、実感するのは一般恩恵は伝わりやすいけれど、特別恩恵はやっぱり伝わりにくいのだなあということです。「十字架のことば」は愚かなのです。
 第二。とはいえ、特別恩恵が受け入れられなかったら無意味というわけではありません。伝道と社会的責任ということでいうと、私の意識としては社会面・家庭面・野宿者支援呼びかけは社会的責任というものでした。聖書的観点からの社会観、家庭観を述べること、また炊き出しの協力をすることは教会の社会的責任の遂行だ、と。