通読箇所 マタイ26:47−68、出エジプト4,5章
権力や暴力や金銭の力が物を言うこの世にあって、司法は、ただ法に照らして正邪を判断することを務めとしている。だから、司法は社会において物差しの役目を果たすべきものである。司法は弱者にとって、最後の正義の砦である。
ところが、イエスを葬り去ろうとしたとき、司法自ら偽証人を求めた。この世における人間世界の正義の最後の砦までもが神の前に決定的に堕落し、物差し自体が歪んでいることを象徴している。キリストは、そんな罪の世に、贖い主として、自らのきよいいのちを差し出すために来てくださった。