苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン12月10日  くじはひざの上に

箴言16:33
文語訳>
人は籤をひく
されど事をさだむるは全くヱホバにあり


口語訳>
人はくじをひく、
しかし事を定めるのは全く主のことである。


新改訳>
くじは、ひざに投げられるが、
そのすべての決定は、【主】から来る。


新共同訳>
くじ(ゴーラル)は膝の上に投げるが、
ふさわしい定めはすべて主から与えられる。

 クリスチャン生活が始まって二三年のころ、教会総会で役員選挙が行われた。すると数名のうち二人の得票数が同じだった。そのとき、聖書が読まれて、「くじびきをします」ということになって、役員さんが決められた。へー、おもしろいなあ、と思った印象がある。
 メンバーは祈りながら、主の御心をそれぞれに考えて誰かを選ぶ。選挙には神が人間に与えた責任と自由、また知性感情意思の働きが期待されている。けれど、選挙で得票同数となったら、くじ引きにする。そこには人間の働きを超えたところの、世間一般にいう「偶然」しか働き得ないが、実は、その「偶然」は実は神の摂理の下にある。人間の自由と責任、知情意の働きもまた、神の摂理の下にあって営まれるものである。
 私たちは神の御心はなにかと一生懸命に考えて、責任をもって行動すべきである。しかし、私たちは自分で全部背負っているわけでなく、むしろ主に担われて生かされている。