苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン9月24日 主のみが

出エジプト記15章11節
口語訳
主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、
だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、
ほむべくして恐るべきもの、
くすしきわざを行うものであろうか。

新改訳
【主】よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。
だれがあなたのように、聖であって力強く、
たたえられつつ恐れられ、
奇しいわざを行うことができましょうか。

新共同訳
主よ、神々の中に、あなたのような方があるでしょうか。
誰か、あなたのように聖において輝き、
ほむべき御業によって畏れられ、
くすしき御業を行う方があるでしょうか。
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 エジプトを脱出したものの、背後にパロの軍勢が追い迫ったとき、主が全能の御手をもって「葦の海」を二つに分けてイスラエルを渡らせ、追いすがる残忍なパロの軍勢を海の底に葬ったとき、女預言者ミリヤムが歌った歌の一部。
「主よ。神々のうち・・・」という表現は、エジプトでさまざまの神々を見せられてきた背景があるのだろう。そういえば、「十の災害」はエジプトで神々とあがめられていた被造物が、神と呼ぶに値しないものであることをあかしするものだった。
 八百万の神々の満ちたエジプトで四百年を過ごしてきたイスラエルの民にとって、主YHWHのみが真の神であると知るために、エジプト脱出において経験させられた上の出来事は必要なことだったのだろう。とはいえ、どういうわけか、私にとっては、聖書にご自分の啓示された神を、他の神々と比較すること自体に抵抗感がなくはない。創造主なる神のみが真の神であられるから。