苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「国のために命を捨てろ」とは?


 「国のために命を捨てろ」と言うが、「国」とはなんなのか?「愛する家族、ふるさと」が「国」なのか?戦争映画で若者が「愛する家族、ふるさとを守るために」などというセリフをつぶやきながら戦地に赴いていく場面がある。だが、頭を冷やして考えれば、愛する家族やふるさとのためなら、さっさと戦争をやめたほうが本土空襲で家族が家を焼かれ命を落とすこともなく、家族も自分たちの大事な夫や息子や父を失うこともなかっただろう。
 かつて、「お国のために命を捨てろ」というときに意味された内容とは、「国体護持のため」だった。そのために沖縄の人々は捨石とされ、日本列島のほとんどの都市は焼け野原とされ、300万人の人々は命を失った。シベリア抑留も国体護持のためであったらしい。「国体」とはなにか?

第一 大日本國體
一、肇國
 大日本帝國は、萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が萬古不易の國體である。而してこの大義に基づき、一大家族國家として億兆一心聖旨を奉體して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が國體の精華とするところである。この國體は、我が國永遠不變の大本であり、國史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、國家の發展と共に彌〻鞏く、天壤と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇國(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。(國體の本義)

 「国体」とは<万世一系天皇が統治する日本の国家体制>を意味している。「国体」とは明治期に江戸時代の国学者の説を利用して作った国家神道のフィクションである。「万世一系」も「紀元2600年」、その他いろいろみな作り話。

 では、今日、「国のために命を捨てよ」と政府が国民に命じるとき、「国」とは何なのか?国家体制という意味であろう。たしかに国家体制がなくなって無法状態になれば、税金は払わなくてよいにしても、国保も年金も、貨幣制度も、教育制度もなにもかもなくなって生活することができなくて困るから、これら諸制度が維持されるのは意味あることではある。だが、そのために国民に「命を捨てよ」というのは意味が無い。なぜなら、これら諸制度は国民の命を守るための手段であるからだ。手段のために目的を犠牲にするのはナンセンスである。
 では、「国のために命を捨てよ」とはどういう意味なのか?自民党・官界・財界の癒着した利権体制を維持するために命を捨てよという意味なのか・・といえば身も蓋もなさすぎるか? ほんとのところ、「国のために」とはどういう意味なのだろうか?「国」にはどうして命まで要求する資格があるのだろうか? いのちを与えたのは神であるから、神がいのちを要求するのは筋が通っているが、国が国民にいのちを要求するのは、国が分を越えて自らを神格化しているからではないか。