歴代誌下16:9
ヱホバは全世界を徧く見そなはし己にむかひて心を全うする者のために力を顯したまふ(文語訳)
主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。(口語訳)
【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(新改訳)
主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。(新共同訳)
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もう22年前、夏の松原湖バイブルキャンプで、高校生アウトキャンプの奉仕を終えた後、主事のS牧師が「たがいのビジョンを語ろうじゃないか」と言ったので、山に登って語らいのときを持った。
神学校卒業後、最初の任地である練馬の教会で宣教師と一緒に4年間、あと単独で5年、計9年目の働きをしていた私は、神学生時代からの思いである農村伝道への思いを語った。「どこか、教会のない福音の届いていない、因習に閉ざされた田舎に伝道に立ちたいと思っている。」特に、ここ2年間そのことを祈っていて、高校キャンプ奉仕をするにあたって、自分にも道を示してくださいと祈っていたところだった。
すると、S師はこともなげに「じゃあ、ここに来ればいい。南佐久郡には教会がひとつもないから。」と言った。『ああ、これが主の道か』と思った。しかし、不安だった。『都会育ちの自分に何ができるだろう。この地に来ても誰一人相手にしてくれず、すごすご去るとしたら、かっこわるいなあ。』などと。
翌朝5時すぎ、寝床のなかで胸のうちにみことばが響いた。「【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」・・・あれはたしか歴代誌のことば、と思って起き上がり聖書を開いた。自分はなんの力もない者だが、主と心を一つにしていくなら、主が御力をあらわし、この地の人々を主のもとに導かせてくださる。そう信じられた。喜びに満たされた。
そして翌年春、この標高900メートルの信州小海に家内と6歳の長男と生後三ヶ月の娘と病身の母といっしょに引っ越して来た。振り返ると、まあ、むちゃな決断だったけれど、従わなければ、主がおいでになったとき合わせる顔がない気がして、エイヤッと立ったのだった。そして、家内は信仰をもって「はい」としたがってくれた。
小さくて罪ある者だけれども、主は出会いを与えて、今日までご自分の羊たちを順々に導いてきてくださって主を愛する小さな群れが誕生した。それは主の働きだった。小さい者でも、主と心を一つにすれば、主が御力を現してくださる。今朝、このみことばを読んで、もう一度、あの原点に返ろうと思う。
*あのキャンプのとき、「神様はいつもさがしておられる・・・」という若者むきの賛美をしたことを憶えているのですが、歌詞がわかりません。わかる方、教えてください。結びは「ここにわたしがおります。わたしを遣わしてください」です。