苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

美男美女とは

 先週金曜日に、中近東文化センターに教会の15人の兄弟姉妹たちと遠足に行ってきました。
みなさん、いろんな展示に、興味津々で見入っていました。
 私が面白いなあと思った一点は、イランの陶器の絵の人の顔でした。モンゴル人に支配されていたイル汗国だった時代の絵では、その顔が細い目で低い鼻彫がほとんどないモンゴル人の顔で、その時代が去ると、大きな目の鼻筋の通った彫りの深いペルシャ人の顔になっていることです。やはり支配者たちが美の理想となるのだなあと思いました。
 平安時代の美男美女とは、色白でひき目鉤鼻しもぶくれでしたね。庶民は畑で働いて日焼けしていてやせっぽちでしたが、貴族たちは宮中にいて食べるもの食べて色白だったのです。ヨーロッパの19世紀までの美女たちはみなふくよかです。それは、庶民は十分に食べることができずにやせっぽちで、ふくよかであることは十分に食べられる特権階級に属していることを意味したからでしょう。現代の北朝鮮でもそのようですね。
 現代の美女とされているの、顔立ちは欧米風で、体格は痩せすぎと感じます。少なくともミスユニバース候補とかいうのは、そういう女性たちです。アメリカでは、太っているのはジャンクフード食べて、コーラばかり飲んでいる貧しさのしるしで、痩せていて筋肉質なのがまともな食事をとってジムに通うことができる支配階級に属しているしるしのようです。スウェーデンで聞いたのですが、美女というのは小麦色の肌なのだそうです。小麦色の肌は、ヴァカンスには地中海に出かけることができる経済的余裕があるしるしなんですね。北国の太陽への憧れですね。