8月26-28日、毎年行なわれている信州霊泉寺温泉での信州夏期宣教講座に出かけてきた。霊泉寺温泉というのは、上田から松本へ抜ける道の途中にあるたいへんひなびた温泉地で、「昭和三十年代」を髣髴とさせるような場所である。今回で21回目を迎える講座で、「教会と国家」という視点で有志たちがずっと学び続けてきている。私自身は二回に一回くらいの参加だろうか。今回は憲法改正問題を主題として、35人の方たちが集まった。最高齢の参加者はカルヴァンの綱要の翻訳で有名な渡辺信夫先生御夫妻だった。先生は九十二歳になられる。
三回の講演があって、及ばずながら私もひとつ担当させていただいた。
ひとつは東アジア史の専門家李省展先生(恵泉女子大学教授)が「思想信条の自由と国家ー東アジアのコンテキストから」ということでお話しくださった。教会と病院とミッションスクールが宣教のトライアングルが、朝鮮半島でも中国でも実践されたが、日本では国家の規制がつよくて医療伝道の道が開かれなかったという話は初めて聞いた。また、国際的視野をもって初めて見える教会の歴史の真相というものがあることにも気づかされた。
私たちは各国の中でのみ教会を見ることをしがちだが、宣教団・東アジアの文脈のなかで教会を見ることのたいせつさを教えられた。「聖なる公同の教会」というけれども、その教会の公同性は国際性ということでもあるのだということを思わされた。国際性を失ったらキリスト教会はキリストの教会ではなく、民族のあるいは国家の教会となってしまう。
もう一つの講演は憲法学の専門家笹川紀勝先生(元明治大学教授)が「アルトジウスの『共生』の思想をさぐる―日本の政治基盤とかかわって―」というお話をしてくださった。アルトジウスは16,17世紀ヨーロッパ(ドイツ)の有名な法学者。印象深かったのは、近代的な人間観というのは英国のホッブズに見られるような強く闘う人間観を出発点とするのに対して、アルトジウスの特徴は、人間はだれも自足しておらず、誰かの助けを必要としている存在としての人間観をもって家庭・社会・国家というものを考えたという点である。その背景には宗教改革者カルヴァンの思想がある。
互いに欠けがあり、互いに助け合って生きる、共生ということが本来の社会・国家の基本的なありかたである、と聞いて、「人がひとりでいるのはよくない。わたしは彼のために助け手を造ろう。」という創世記2章のことばを思い出した。
私は、申命記17章後半をアウトラインとして、「憲法と王と平和」という題名で話をさせていただいた。アウトラインをここに紹介しておく。
序
1.王は馬を増やすな
(1)軍備拡張と悪魔
(2)現政権の急速な軍拡
2013年6月4日「 新「防衛計画の大綱」策定に係る提言
「防衛を取り戻す」」2.馬を増やすために民をエジプトに帰すな
(1)エジプトと軍事的関係を結ぶな
(2)集団的自衛権のこと
①9条の改変
②集団的自衛権について
③国連の平和維持軍への参加はどうか?
(3)憲法9条の実績3.憲法の役割と自民改憲草案(2012.04.27)
(1)王権は律法に制限された
(2)立憲主義について
(3)自民改憲草案における人権制限
①97条削除
②「公益及び公の秩序に反しないかぎり」とは?
③表現の自由・財産権の制限
④政教分離条項の改変
⑤人権制限のねらい
(4)自民改憲草案「緊急事態宣言」の危険性結び