そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。
出エジプト記13:19
エジプトはヨセフにとって功成り名を遂げた地であり、彼は宰相として、この地で果てた。しかし、彼はエジプトにおいて寄留者であり旅人だった。彼の帰るべき地は、父祖の約束の地であった。ミイラになってでもヨセフは、神が賜った約束の地に帰ることを渇望した。モーセの一行に担がれて行くヨセフのミイラを思い浮かべると、御国への執念ということばが思い浮かんだ。
新たに洗礼を受けた方がいると、その祝会の席で、教会の兄弟姉妹から一言ずつお祝いのことばを話すことにしている。そのとき、家内はしばしば、「今日、洗礼を受けたのはスタートです。速く走る人もいれば、ゆっくりとしたペースで歩く人もいるでしょう。いろいろでいいのですが、大事なことは、這いつくばってでも天国というゴールまでたどりつくことです。」と話をする。
そういえば、34年前、私が東須磨教会で洗礼を受けたとき、朝岡茂牧師が電報をくださった。
「シニイタルマデチュウジツデアレ モクシ2:10
アサオカ」
と。