苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

エジプト第18王朝5代ハトシェプスト女王


 今度の主の日は、オリエントと旧約史の第4回。出エジプト記1章から2章半ばをとりあげます。

 ヨセフがエジプトで仕えた王朝は、おそらくセム系のヒクソス朝で、ハム系であるエジプト人にとっては異邦人による征服王朝でした。ヨセフ自身セム系でしたから、この王朝で重用されたという面があります。しかし、やがてヒクソス朝がエジプト人(ハム系)によって滅ぼされて新王国時代がやってくる。当然、民族主義的な王朝ですから、前王朝ゆかりのヘブル人たちが二百万人もエジプト国内に住んでいることに脅威を感じて、これを弾圧します。

 1章に登場する王については、トトメス三世説とラメセス二世説があります。近年は後者だという主張が強いのですが、私はむしろトトメス三世と取った方が聖書の語る背景をよく説明するように思われて、こちらに魅力を感じています。

 トトメス三世は、王位についた時まだ若かったので、継母ハトシェプスト(前前代のパロの娘)が女王としてエジプトを治めました。彼女は平和外交主義者でした。やがてトトメス三世が長じて実権を握ると継母に反抗するように、「エジプトのナポレオン」といわれる軍国主義的政策を取り、ハトシェプストが死ぬと彼女の業績を抹殺しようとさえしているのです。

 こうしてみると、どうやら出エジプト記2章に登場し、パロの命令にそむいてヘブル人の赤ん坊を育てた「パロの娘」は、このハトシェプストのイメージとぴったりくるではありませんか。ただし、「パロの娘」は、ケネス・テイラーの絵本の表紙のように、薄絹をまとったうら若い乙女ではなくて、風格のある前女王だったということになります。実際、そうでなければ暴君の命に反してヘブル人の子を育てることなどできはしなかったでしょう。

 ちなみに、2007年ハトシェプストのミイラがDNA鑑定によって発見され、「身長165センチ、太り気味で腰骨まで侵食した悪性腫瘍、歯周炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯周炎による抜歯のため感染した菌が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという」ことです。
 こわいですね、ミイラにはプライバシーもなんもあったもんじゃありません・・・とか言いながら、書いてしまいました。ハトシェプストさん、すみません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%88
写真もこちらからです。

追記
 第一列王6:1 「イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは【主】の家の建設に取りかかった。」とあります。
 ソロモンの在位は970BC頃、その970足す480で1450年頃に出エジプト事件ということになります。これからいえば、やっぱり出エジプト記1章は、ラメセス2世(在位:紀元前1290 - 紀元前1224年、または紀元前1279 - 紀元前1212年)ではなく、トトメス3世(1479−1425頃)と見るべきではないでしょうか。
 続きは明日。