苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

御子の父への愛

 

ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。弟子たちは「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。
                 ヨハネ福音書2:16,17


 当時、エルサレムの神殿礼拝は繁盛していた。大祭には、多くの巡礼が城壁内に泊まりきれないので、壁外に巡礼たちのテント村ができた。神殿の建物はローマの傀儡ヘロデ大王が自分の威信にかけて、また、ユダヤ人たちを手なずけるために築いた豪華なものだった。
 しかし、神殿のなかの「異邦人の庭」は、改宗した異邦人が神を礼拝するための静謐な空間ではなくなっていた。いけにえ用の動物を高値で売る商売人の声が響き、通常の貨幣を礼拝用の貨幣へと両替する両替人が商売をしている喧騒の場だった。祭司たちは、彼らから上前をはねて、神殿の金庫を潤沢にして経営を「成功」させていた。はるばる旅をして、天地万物の主を崇めるためにやってきた巡礼たちは、つぶやいた。『ああ、ここも他の神社仏閣となにも変わらない。どうせ宗教はこんなものか。』。
 イエスの怒りは燃え上がった。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」。併行記事では「祈りの家」を「強盗の巣」にしたとある。イエスの行動は祭司階級の面子をつぶし、彼らのイエスへの殺意を惹き起こすこととなった。しかし、御子は御父が侮辱されるのを黙ってはいられなかった。また異邦人改宗者たちをつまずかせる彼らの愛のなさに対しても―。
 ・・・イエス様は純粋に父を愛しておられたのだなあと、つくづく思う。 たしかに、主イエスパウロも神のことばに仕える者が、その働きから糧を得ることをよしとしておられる。しかし、それは決して「商売」であってはならない。主イエスのようにどこまでも純粋に神を愛する者であること、そのためにいのちをも惜しまないこと。