イスラエルは、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って、【主】がイスラエルに行われたすべてのわざを知っていた長老たちの生きている間、【主】に仕えていた。
ヨシュア24:31
ヨシュア記末尾にしるされるこの一句。一見すると、イスラエルが主に仕えていたことを記す句であるが、よく読めば、出エジプトと荒野での主の扱いを知るヨシュアが逝き、ヨシュアとともに荒野における神の取り扱いを知る世代が去ると、イスラエルはまた主に背いてしまうだろうということが暗示されている。
一つの世代が去るとき、次の世代に大切な教訓を残すことがいかにむずかしいかを思う。信仰の継承ということにしても、戦争の記憶の継承ということにしても。
収穫を待つ野沢菜