苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ねたむ神

民は答えて言った。「私たちが【主】を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません。」ヨシュア24:16

 指導者ヨシュアが訣別メッセージの末尾、「真の神である【主】にのみ仕えるのか?それともこの地の異なる神々に仕えるのか?」とイスラエルの民に問うと、民は上のように応答した。
 だが、この応答にもかかわらず、民はこの後の歴史において、十度も百度も千度も異なる神々に仕える。だが、恐らく彼らは「主を捨てた」という自覚をもっていなかっただろう。ただ、おもに【主】を拝んでいることに変わりはなく、それに多少他の神々を付け加えただけのことだと思っていた。
 しかし、【主】の御目からすると、それこそ【主】を捨てる行為にほかならなかった。【主】はご自身がその民にとって唯一の存在であることを要求なさる、ねたむ神だからである。信仰者において「浮気」はけっして許されない。