苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

8 一夫多妻の悲劇

「あれでよかったのか。だが、あの方法しかなかったではないか。しかし・・・。」
アブラムはまたつぶやいた。妻サライの女中ハガルから生まれた子イシュマエルは十三歳。背丈は父に迫り、声も低くなって多感な青年期にはいろうとしていた。我が子の成長ぶりに目を見張るアブラムはすでに九十九歳を迎えていた。長らく子を得なかったアブラムにとって、自分が血を分けた子が日に日に育って行くことは正直うれしかった。
だが手放しにイシュマエルをかわいがることも、イシュマエルを産んだハガルに優しく振舞うこともはばかられた。妻サライの目があるからである。当時の世界で行なわれていたように借り腹をして子を得るようにとアブラムに熱心に勧めたのは、サライ自身であったから、彼女が表立ってアブラムを非難することは少なかったものの、少しでもアブラムがハガルにやさしくしてやると、サライの表情はかたくなり、「どうせ私は石女(うまずめ)ですから。」とつぶやいた。この言葉を聞くと、アブラムの心は沈んでしまうのだった。ここ十三年間、夫婦の間の溝は日に日に深くなってきたように感じる。
旧約聖書には一夫多妻の例がいくつも出てくる。出てくるけれども、一夫多妻で万事うまく行ったという夫婦と家庭の例は、ただのひとつもない。一夫多妻の家族には、常に暗い陰が落ちている。アブラムの孫ヤコブは四人の妻の間の争いに右往左往して気苦労が絶えなかったし、その子どもたちの間には激しい反目があった。複数の妻をかかえる英雄ダビデ王は異母兄弟間の殺人事件を発端に、自らの王座と生命も危うくなった。その子ソロモン王は政略結婚で周囲の国々から多くの妻をむかえたが、妻たちが持ち込んだ異教の偶像が罠となって、神の怒りを買い、ソロモンの死後、王国は南北に分裂してしまう。旧約聖書はもろもろの実例をもって、一夫多妻制は夫婦を不幸にし、子どもを不幸にし、社会をも不幸にするという教訓を繰り返し、私たちに与えているのであろう。
エスは言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
神が夫婦二人を一体にされたのである。そこにいろいろな理由をつけて他の者を入れるならば、不信や混乱や不幸をも招き入れることになる。当時の社会では一夫多妻はごく普通の習慣であったが、アブラムが若い日から妻はサライひとりと決めていたのは、神のみこころを知っていたからであろう。けれども、妻に勧められてその禁を破ったときから十三年、アブラムは苦々しい経験をしなければならなかったのだった。また、一族の棟梁の妻としてのプライドにかけて、それを勧めた妻サライ自身、だれよりもこの十三年間、嫉妬と憎しみの牢獄のうちに過ごさねばならなかったのだった。