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神の時を待てずに
カナンの地に来て十年が経ち、アブラムは八十五歳、妻サライは七十五歳となっていた。神の約束によれば、アブラムが神にしたがってカナンに行けば、彼は偉大な国民となるはずであった。それでここ十年、老いた夫婦は、子を得るためにそれなりに努力もしてきたが、サライには一人の子どころか妊娠の兆候さえ皆無だった。「いくら神様でも、枯れ木に花を咲かせることはおできになるだろうか。」サライは焦りを感じていた。「私が産まず女なのは、もともとのこと。でも、このままでは夫のアブラムも子種が尽きてしまう。」
その時、サライは周囲の人々を見回した。当時オリエント世界の人々のあいだでは、正妻から子を得られない場合には、「借り腹」をして子を得るという習慣があたりまえのようになされていた。そんなことは、アブラムもサライもとっくに承知していたが、アブラムは当時としてはめずらしく若い日から連れ添ってきた妻以外の女に触れずに来たのであり、妻サライもそのことを感謝していたのであった。
けれども、サライは自分が生まず女であることで、アブラムの血統が絶えてしまうことはなんとしても避けたいと思った。それは一族の棟梁の妻としてのプライドにかかわることだった。「奥様が嫉妬深くていらっしゃるから、ご主人様は側女をむかえて跡継ぎを得ることがおできにならない…。」そんなことを誰かが話しているのを聞いたような気がする。あるいはただ単に自分の脳裏に浮かんだことばだったのか。また、神が、アブラムを大いなる国民とすると約束され、かつ自分を生まず女にしておられるということは、神は自分にこらえよと求めておられるのではないかと解釈した。『私さえこらえれば、アブラムは子を得ることができ、神の約束も成就するのだわ。』サライは自分の感情を押し殺して、棟梁の妻として理性的に振舞おうと決心したのである。
ある日、サライは夫に言った。「ご存知のように、主は私が子どもを生めないようにしておられます。どうぞ、私の仕え女ハガルのところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれましょう。」
アブラムも実は同じことを考えなくはなかったが、自分からは言い出せずにいた。そして言った。「よいのか。サライ。」
「よいも悪いも・・・。その子を私のひざに受けて、あなたと私の子としますから。」とサライは微笑んだ。胸のうちはとどろくようだが、平静を装う彼女の声は震えていなかった。
すると、アブラムは「そうか。わかった。」とサライのことばを受け入れてしまった。
サライは一族の棟梁となるべき男児を生むのであるから、利発で健康で腰骨の張った容姿のよい女を選んだ。ハガルは、大きな瞳が印象的なエジプト出身の小麦色の肌のなめらかな女だった。サライはハガルにもちかけた。
「ハガル。おまえが私の代わりに、ご主人様のお子を産むのよ。・・・ただし私のひざの上に。」
一瞬、ハガルの目は大きく見開いたが、その目の光を見られまいとしてか、すぐに目を伏せ頭を下げると「私はあなたの仕え女です。おおせのままに。」と答えた。
その夕方、自ら夫アブラムとハガルの寝所を用意するサライの心のうちにはせつない嫉妬の炎が燃えていた。その炎を押し隠して、ハガルに対して親切な女主人らしく振舞うのである。ハガルが沐浴を終え、椅子に腰掛けて長い髪をくしけずっていると、サライは自分がたいせつにしている香料の小瓶をとり「これを付けなさい」とハガルの手のひらに置いてやった。
西の山の端に日が落ち、闇が迫ると、サライはハガルのいる寝所にはいって行く夫の背を見送った。サライの胸のうちで一つのガラスの玉が砕けた。
私を見守る神
まもなくハガルはみごもった。日に日に彼女のおなかは大きくなっていく。八十五という齢になって、生まれて初めて自分の子が生まれようとしている。サライには悪いと思うが、アブラムはハガルの丸い腹を遠くから見てはこみ上げてくる喜びに、つい表情がゆるんでしまう自分を抑えられなかった。わが子を宿したハガルの身に万一のことがあってはならぬというわけで、ハガルに仕えるしもべたちを付けてやった。
胸と腹をそびやかせて歩き回るハガルは、サライの癇に障った。しかしサライは自らを省みることを知る賢い女である。ハガルが横柄な態度に見えるのは、自分の心持ちのせいだろうと最初は思っていた。だが事実、ハガルは主人アブラムの子を宿して増長していたのだった。
ある日のことサライがハガルを一言戒めたときだった。ハガルはふり返ると言った。
「なにさ。お子を産むこともできないで、なにが奥方さまよ。ご主人様のお子を宿したあたしこそ奥方様と呼ばれる資格をもっているのに。」
サライはハガルの横柄さにたまりかねて夫に矛先を向けた。「私に対するこの横柄さはあなたのせいです。ハガルは自分がみごもったので、私を見下げるようになりました。」
アブラムは言った。「おまえの仕え女だ。おまえの思うようにすればよい。」
夫の許可を得て、サライはなにかにつけハガルにつらく当たるようになった。日本風にいえば、ハガルの箸の上げ下ろしにまでネチネチと小言をいうのである。いぎたないの、食事のマナーがなっていないの、目つきが悪いの、言葉遣いが下品だの、着物がはでだの、いや地味すぎるだのと指摘した。ハガルが少しでも不満げな顔をすると、「そんなことでわが一族の長の子を産むにふさわしい女といえると思っているの?」と手厳しい。しかも主人アブラムは少しも自分をかばってくれない。とうとう耐えきれず、ある日ハガルは大きなお腹を抱えて家を飛び出してしまう。
荒野の泉の水面に大きなお腹のハガルの姿が映っていた。サライのもとを飛び出しては来たものの、女奴隷の身のハガルに帰るべき実家などありはしない。パレスチナの太陽が容赦なくハガルの背を焼く。彼女は途方にくれてしまった。そこに、神の使いが現れて言った。
「サライの仕え女ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」
彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」
御使いのことばは、ハガルに二つのことを教えている。「サライの仕え女ハガル。」というのは、ハガルが一体何者であるのかを告げることばである。おのが分を忘れてあたかも女主人のように思い上がり振舞っていたハガルに、自分をわきまえなさいというのである。あせって分を超えて自分を高く上げようとするのをやめよ。ことを人のせい、環境のせいにばかりするのをやめよ。このたびのことは、おまえのあせりと増長が原因だ、と。
「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」とはまた印象深いことばである。ハガルはどこから来たかを答えることはできたが、どこへ行くのかを知らなかった。逃げてきたからである。逃避の人生には目的がない。
御使いは続けた。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
そして主の使いは約束を告げた。
「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、
数えきれないほどになる。
見よ。あなたはみごもっている。
男の子を産もうとしている。
その子をイシュマエルと名づけなさい。
主があなたの苦しみを聞き入れられたから。
彼は野生のろばのような人となり、
その手は、すべての人に逆らい、
すべての人の手も、彼に逆らう。
彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」
アラブ人たちは、このアブラハムとハガルの息子イシュマエルこそ彼らの先祖であると称している。
御使いが去った後、ハガルはサライのもとに帰った。ひざまづき頭を垂れたハガルにサライは「顔を上げなさい」と言った。サライは驚いた。ハガルの表情がまったく変わっていたのである。高慢と苛立ちに満ちていた顔が、今は、穏やかな表情になっていた。サライは問うた。
「荒野で何があったの?ハガル。」
ハガルは目を輝かせて答えた。
「私は神にお会いしたのです。」