苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

すわって説教をする

新年礼拝の夕べの礼拝では、体調がすぐれず、初めて椅子に腰掛けて説教をしました。目線が会衆と同じくらいになって、なんだか自分としては良い感じで説教ができました。

古代教会では説教者は腰掛けて話をし、会衆のほうが立っていたそうです。今と逆です。説教者はアジ演説するわけではないし、パフォーマンスをするわけでもないので、すわってじっくりお話するほうが神様のお話をするには適切なんじゃないかなと、話してみて思いました。山上の説教のときも、イエス様は腰掛けられたとあります。

いつから教会では説教者は突っ立って説教するようになったんでしょうか?ご存知の方がいらしたら教えてください。以前、スウェーデンで古いルター派の教会堂に入ったら、高いところに立つスタイルの説教卓がありました。あれはもともとカトリックの礼拝堂だったのを、国がプロテスタントに改宗したので転用したものだったと思いました。・・・どなたか、こういうことに詳しい読者がいらしたら、コメントをください。

エスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」
                       マタイ5:1−3