苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

つばめも巣を




   (今年も、庭のムクゲが咲きました。韓国の国花で、ムグンファ無窮花と呼ぶそうです。この花が咲くと、一昨年若くして天に召された教え子を思い出します。)


 「うちにもつばめが巣を作ってくれたらええのになあ。」
 子どもの頃、春になってつばめが近所のお米屋さんの軒下に巣づくりを始めるといつもそんなことを思っていた。けれども、幼いころ私が住んだ家にも、四年生で引っ越した新しい家にも、つばめが巣を作ってくれたことはなかった。
 ところが、小海にやってきて、初めて北側の軒下につばめが巣を作ってくれた。父母つばめは、ひなたちのために、片や巣をからすの襲撃から見張り、片やせっせと餌を運ぶ。顔中口にしたひなたちはもりもり食べて、どんどん大きくなる。図体が親と同じくらいになって巣が手狭になった七月半ばの朝、気づくと四羽はすでに巣立っていた。四羽はいったいどこへいったのだろうと気にかけていると、午後、家内が「ほら、あそこに!」と台所の窓から見える電線を指さした。四羽青空を背景にちょこんと並んでいる。そして、なお親たちが餌を運んでいるではないか。また、時折、父母とは別のおじさん、おばさんつばめたちもひなたちに近寄っては何かを話しかけている風情。
 あと一月もすれば、ツバメたちは南に向かって旅立つのだろう。
 つばめ夫婦の子育てのようすを見ながら、最近あまりにも多い子どもの受難のニュースを思わないで入られない。食べ物をもらえずに餓死してしまった子ども、継父による虐待であざだらけになって死んでしまった幼児、パチンコにいった親に猛暑の車中に置き去りにされて死んでしまった赤ん坊とか、聞くに堪えない事件がある。
 主イエスは幼子たちをたいへん大切にされた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔改めて子どもたちのようにならないかぎり、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い人です。まただれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みで溺れ死んだほうがましです。・・・あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」(マタイ十八:三―九抜粋)
 子育てには楽しみとともに、悩みもつきものである。だが、子どもたちは神様が人に託されたたいせつな宝である。神は幼な子が、まことの神を愛し、隣人を自分自身を愛するような人となることを期待していらっしゃる。あのつばめの夫婦が教会の軒に巣を得て、子育てを立派にやり遂げたように、神の家、教会につらなって託された子どもたちを育ててゆきたい。

「万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。・・・雀さえも住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。」
詩篇八十四:一、三
(通信小海94号2001年8月に加筆)