苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

朝の散歩道

 今朝は四時半には目が覚めて、散歩に出かけた。なんでこんな時間に目がさめる。もうじいさんだ。外に出れば、ひんやりと肌寒い。まだ太陽は東の山並みの向こうにあって見えないが、うす曇りの空は明るくなっている。墓と畑の混じった道を抜けてゆくいつもの散歩道である。その昔、平安時代の大噴火か大地震で崩壊した八ヶ岳の一峰天狗岳東面から転がってきたという大岩のそばに生えている直径50センチばかりの蕗の葉の写真をパチリ。



 大岩には地衣植物がはりつき、羊歯が生えている。細い土の道を抜けて、その昔、小海から相木にぬける幹線だったという道にでる。むろん当時はせいぜい馬の引く荷駄が通る程度であったので、今は車が交わすことのできないほどの道である。左斜面の谷底を音を立てて流れるのは相木川。ここのところ毎日午後の雷雨のせいで水量が増している。

 そこからまっすぐ民家のそばの道を抜けていく。おそらくかつては幹線道だったので、人が賑わったのであろう。しもた屋風の家がわずかに残っていて、また、かつて医院だったことを思わせる造りの家もある。道は片側一車線の現在の小海相木線に出て、歩道を歩くことになる。大岩にうがった長さ10メートル足らずのトンネルを抜けると石屋さんの小さな工房があって、今は町が引き取って「古今亭」と名づけた家が左にある。この家は、相木川のほとりに高々とそびえる岩のてっぺんに建っている。古今亭をすぎて左斜面の林の向こうに、遠く緑の水田の中に小海小学校が望まれ、そのそばを相木川がせいせいと流れている。ひんやりした空気の中、うぐいすが鳴いている。

 さらに行けば、左下に視界が開けて小海小学校のある水田地帯である。このあたりはかつて「小海」と呼ばれる湖であったというだけあって湖底にあたる水田地帯は平坦である。上にも触れた天狗岳崩壊によって押し寄せてきた大量の土石流が、相木川が千曲川と合流するところを閉塞して、天然のダム湖ができてしまい、それは戦国時代にまで数百年間存在していたという。それだからであろう、小海小学校から相木川を1キロばかり遡行したところにある本村地域の松源寺は別名海岸院という。湖水は教会堂のある見晴台からこの本村あたりまで広がっていたようだ。小海−相木線から小海小学校へ、150メートルばかりだらだら坂を下ってゆくと、周りは低い山に囲まれていて、たしかにここはかつて湖底だったのだと実感する。
 小学校の前の田んぼは穂をつける前の水田。小学校の裏を流れる相木川には、春には鮎や岩魚をねらう釣り人が見られ、夏には親子レクリエーションで水遊びをする。ただしその水は山から出たものなので驚くほど冷たい。