苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

玉川上水

 関西に生まれた戦後生まれの筆者にとって、「玉川上水」と聞けば、太宰治が入水心中したところというイメージしかなかった。私はたぶん教養主義の最後の世代に属していて、さすがに安倍次郎『三太郎の日記』は読まれなかったが、高校生たちは一応、漱石と鴎外、芥川、太宰の主要なものは読んでいることが前提で会話が成り立っていた。とくに太宰は高校生たちにとって身近に感じる作家で、高校二年の秋に出かけた東北への修学旅行の夜、布団の上で「人間失格」について語り合うなどといったことがあったものだった。あの会津放射能に汚されてしまったとは、悲しい。
 その玉川上水を今筆者は月に一度、二度は歩いて、新宿から幡ヶ谷の教団事務所まで行く。上水といっても、今では水は地下を流れ、その上がビルの谷間の緑道になっている。桜、楠、椿、金木犀、欅などが植えられていて、季節ごとの顔を見せてくれる。
 緑道をゆく人々は通勤の会社員、犬を連れたお年寄り、幼子を自転車に乗せた若い母親。これからの季節、新宿駅から四十分、幡ヶ谷の教団事務所に到着するころには汗びっしょりである。
緑道が上水であったことの名残の橋