苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

獣の背後で―政教癒着と神のさばき(KGK夏季学校その7)


    アキアカネ。カメラを向けると逆立ちポーズを取ってくれました。


「13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。13:2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。
13:3 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、13:4 そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、『だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう』と言った。
13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。 13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。13:9 耳のある者は聞きなさい。13:10 とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。
  13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。 13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」(黙示録13:1-12)

 「海からの獣」とはローマ皇帝を指している。皇帝が、サタンに誘惑されて「あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する」という野望を抱くと、彼はサタンに魂を明け渡し、サタンは彼に見返りとして自分の力と権威とを与える。この権力者は傲慢になり、民にサタンと自分を礼拝させ、神の民(天に住む者たち)を迫害する。このとき、第二の獣が登場する。第二の獣は小羊キリストに似たなりをしているが、その口から出ることばは竜(サタン)の教えである。第二の獣は、第一の獣(皇帝)を拝ませる偽預言者(御用宗教団体)である。
 これが国家権力が暴走するときに、その背後でうごめく霊的世界の真相である。ヤロブアムが政権の安定を願って、国家神道をつくった時、ウジヤ王が傲慢になって祭司職を侵したとき、ネブカデネザルがドラの平野に彼自身を象徴する金の柱を諸国民に拝ませたとき、ローマ皇帝が皇帝礼拝を帝国民に求めたとき、フランス革命政府が理性の女神像を教会に持ち込んだとき、近代天皇制において天皇が神格化され、アジア諸国で神社参拝を強制したとき、同じ竜(サタン)が彼らの背後にうごめいていた。
 偽預言者(第二の獣)は、見かけは小羊キリストだが、語ることばはサタンのことばである。非国教徒を弾圧した国教会。ナチス・ドイツにおけるドイツ的キリスト者、明治以降の日本でいえば、国家神道の宣伝機関としての文部省とその手先と化した教会が、この偽預言者の役割を担った。黙示録13章の観点からいえば、およそ国家主義の宣伝機関となった教会はすべて、偽預言者である。それはいわゆるキリスト教国、非キリスト教国を問わない。(つづく)