苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

世界宣教の基地

           使徒13:1−4
           2010年6月6日

   www.geocities.jp/todo_1091/bible...naba.htmより


1.アンテオケ―世界宣教の拠点

 「さて、アンテオケには・・・」と13章は語り始めます。シリアのアンテオケという町は、ローマ帝国に吸収される前はセレウコス朝シリアという王国の首都でした。地中海の東の端の北隅にあり、イスラエルの北、シドンの地域、小アジア半島の根元にあります。この都市は、イタリア半島のローマ、エジプトのアレクサンドリアに次ぐローマ帝国第三の都市でした 。シルクロードの東の終着駅は中国の長安シルクロードの西の出発点がアンテオケでした。同時に、アンテオケは北に陸路を取れば小アジア半島からギリシャに行くことができ、地中海に向かっても開かれている港も至近にあり、港には首都ローマを初めとする地中海世界の諸都市へと向かう船が出入りしていました。東西の人と文物とが行き来する交差点、それがアンテオケでした。
  キリスト教会の宣教の歴史上、アンテオケは特別な意義を持っています。この都市を基地として最初の異邦人への本格的宣教師が派遣されていったからです。その名は、サウロとバルナバ。サウロとバルナバは、このアンテオケの町を拠点として、何度も地中海世界の宣教へと出かけているのです。
 また、聖書には地中海世界への伝道のみが記録されていますが、実は、アンテオケには後にペテロが訪れており、その後、アンテオケ教会はシリヤ正教会の中心となって、シルクロードを通じて福音は東方つまり、メソポタミア地方、イラン、インド、さらには中国、そしてもしかすると日本にまでもたらされていったのです。参照→http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090531/1243803196
 このように東に向かってはシルクロードの出発点であり、西に向かってはアテネやローマへの陸路・海路が開けているアンテオケは古代キリスト教会の世界宣教の拠点として、特別の意義のある町なのです。今日「アンテオケ宣教会」という国外宣教師たちを支援するための超教派の宣教団があって、多くの宣教師たちの派遣と支援のための仕事をしています。1977年3月の設立から今日まで、南米、北米、アジア諸国、ロシア、アフリカなど、17ヶ国に14教派から約50名の宣教師を送り出して来ました。アンテオケという名は世界宣教の基地というべき名なのです。
 
 エルサレム教会弾圧によって散らされたクリスチャンたちのある者たちは、このアンテオケにまで来ていました。そして、このアンテオケで異邦人の敬虔な人々が改心し、さらにこの回心した異邦人たちが異邦人に伝道してさらにクリスチャンが誕生するという福音の拡大再生産が起こると言う画期的な事態となっていたのです。
 バルナバは、この働きには「異邦人への使徒」としての特別の召しを受けたサウロを連れてくるべきであると判断して、彼とともにここアンテオケで奉仕をしていたのです。こうして13章以降、サウロたちによる本格的な世界宣教が展開していきます。すなわち、パウロの三回にわたる世界宣教旅行が行われるのです。

2.アンテオケ教会の陣容

 さて、アンテオケ教会にはどのような人々が集っていたのでしょうか。ここに陣容が紹介されます。
13:1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
 バルナバはいうまでもなく、エルサレム教会でも重鎮としての位置を占めていた人物です。ニゲルと呼ばれるシメオンというのは、ある学者はあの主イエスゴルゴタの丘に向かうとき、倒れてしまった主イエスに代わってその十字架を背負って行ったクレネ人シモンと同一人物であろうと指摘しています。そうだとすれば、あのとき無理やりに背負わされた十字架でしたが、その出来事ゆえにシモンはイエス様をわが救い主として受けれて、やがてアンテオケ教会における代表的な人物のひとりになっていたということです。クレネ人ルキオの名は、聖書の中ではこのほかに見えません。
もうひとり注目すべき名があります。「国主ヘロデの乳兄弟マナエン」。なんとヘロデ・アンテパスの乳兄弟までもアンテオケ教会に所属するようになっていたというのです。初代教会は、後にパウロがいうように、この世にあっては取るに足りないとされる人々がほとんどでしたけれど、徐々に社会的な階層の高い人々も含まれるようになっていたのだということです。キリストの福音は、男女の垣根、肌の色つまり民族の垣根、そして、階級の垣根も超えて広がっていったのです。キリストにあって、一つの神の家族、神の民、キリストのからだなる教会が実現するのです。
ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ3:28)
 そして、サウロの名がここに記されています。ベニヤミンの分かれを血筋とし、パリサイ派のガマリエルの門下の俊才であり、キリスト教会迫害の急先鋒としてステパノ処刑を冷ややかなまなざしで眺めていたサウロが、今、このアンテオケ教会における指導者の一人として名を連ねているのですから、不思議です。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と後にサウロ改めパウロは語っていますが、それはまさに彼自身のことでした。人は変わることができないといいますが、そんなことはありません。主イエスを信じるとき、主イエスはその人をご自分の作品として内側から作り変えてくださるのです。神を愛する人、隣人を愛することのできる人としてご自身に似た者となるように、作り変えてくださるのです。これは主イエスを信じる者に与えられる御霊のみわざです。私は、多くの人たちがイエス様を信じて、その人生が変えられるのを見てきました。くすぶって煙しか吐き出していないような人生が、かっかと輝き燃え出す人生に変えられた人がいました。いつも暗い顔で歩いていた人が、いつも微笑みをたたえた人に変えられました。

3.派遣

 アンテオケ教会は、宣教師を派遣することになりますが、それはどのようにして始まったのでしょうか。なにか彼らが世界伝道戦略会議でも開いて、なにか野心的な計画を立てたことから始まったのでしょうか。そうではありませんでした。礼拝と断食から世界宣教はスタートしました。神様の前に、へりくだって真剣に礼拝をささげ、神のみこころを求めて耳を傾けていたとき、聖霊が礼拝者たちのうちに臨まれて、彼らのうちに語り、志を立てさせたのでした。
13:2「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた。」
 宣教は、人間の計画や人間の意欲によるものではなく、主のみわざであるということを私たちはここで確認させられます。人間がしたいから福音を伝えるのではありません。私たちがやりたいから世界の人々に福音をのべつたえるのではありません。世界宣教は、主イエス・キリストの最後のもっとも大切なご命令でした。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と主はおっしゃいました。
ですから、私たちは世界宣教のために祈り支える義務があるのです。こんなに小さな群れでなにができるでしょうと言うでしょうか。しかし、私たちが実際、永遠のいのちを得られたのは、主の宣教命令にこたえた兄弟姉妹たちがいたからでした。まずは祈ることによって、次に捧げることによって、次に自ら宣教地に行くことによって、私たちは世界宣教に携わることができます。

 次に、主は、アンテオケ教会のどういう人物を世界宣教に派遣なさったかを見て見ましょう。主は「バルナバとサウロを」と指定なさいました。バルナバとサウロは、アンテオケ教会にとって、かけがえのない人物でした。彼らを送り出すことはアンテオケ教会にとっては、たいへんな痛手でした。しかし、主は彼らバルナバとサウロをお召しになったのです。

4.教会による派遣、聖霊による派遣

 さて聖書本文にもどります。アンテオケ教会にとって、バルナバとサウロを派遣することは痛手でした。しかし、彼らは断食と祈りをして祈れば祈るほど、それが、それが神のみこころをいうことがわかりました。これは従う以外ありません。そこで、アンテオケ教会の兄弟姉妹たちは、ふたりの上に手を置いて派遣しました。
13:3 「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」
 「手を置く」というのは、旧約聖書の儀式のなかにも見える所作なのですが、手を置かれた者は手を置いたものと一体であるということを意味しています。つまり、これから出かけていくサウロとバルナバは私たちアンテオケ教会と一体であるということを表現しているのです。彼らが異邦人の地で伝道をするのは、私たちアンテオケ教会の代理として出かけて伝道しているのであるということを意味しているのです。言い換えると、派遣するこの二人の宣教師を通して世界宣教をしているのは、アンテオケ教会なのだということです。当然、アンテオケ教会は、彼らが宣教地で伝道活動をするために背後で祈り、経済的な支援をすることを喜びとして行きますよと確認しているのです。
  このように教会が祈りと断食をもって、また手を置いて派遣したことについて、使徒の働きは「 13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。」と説明しなおしています。つまり、このような教会的な手続きを伴った派遣が、聖霊による派遣だったのだというのです。ときどき、「聖霊の導きがあるから、私は教会の言うことなど聞きません」といって、勝手な動き方をする人がいます。けれども、聖霊の導きを受けた人だというならば謙遜になるべきです。聖霊は謙遜なおかただからです。そして、聖霊を受けているのは、あなただけではないからです。聖霊は教会の兄弟姉妹のうちに語られるのです。主イエスはおっしゃったでしょう。「二人三人わたしの名において集うそのところにわたしはいる。」と。アンテオケ教会のバルナバ、サウロ派遣は、聖霊によるものでした。
 私たちの教会は小さな群れですけれど、私たちの群れから起こされた伝道者としては、今は長野市の東にある須坂聖書教会に仕えている奥山信牧師がいます。奥山兄が献身の志を与えられたとき、小海キリスト教会は彼を祈り、神学校の学びのためにもわずかながらも毎月サポートをしたものでした。これからも、私たちの群れから主の福音のために召されて立ち上がる人が起こされることを祈っていくことも大切なことです。この地の宣教と教会形成に励んでいくと同時に、私たちの畑は世界であるということを自覚して、いつも祈ってまいりましょう。
 「収穫は多いが働き手が少ない。だから収穫の主に収穫のための働き手を送ってくださるように祈れ。」と主はお命じになりました。いま、献身者不足が嘆かれています。しかし、嘆いている場合ではありません。収穫の主に働き手を送ってくださるように、日夜祈ることが私たちの務めです。