苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

野の草も水草も

 神学生時代、男子寮に教会で行なわれたバザーの残りの背広が回ってくることがあった。当時の神学生たちはたいてい貧しかったから、それぞれ自分の体格に合いそうなものを見つけて重宝していた。当時、身長176センチ、体重54キロの筆者は身の丈は合っても、どれもこれもズボンがぶかぶかだったが、それでもありがたくいただいたものである。
 神学校を卒業して、筆者は練馬の小さな教会に派遣された。教会には伊原さんという「使徒の働き」のタビタさんのようなご婦人がいた。裁縫の腕でお二人の息子さんを育て上げて来られた方である。「先生、ズボン直して上げますよ」とおっしゃって、ダブダブのズボンを直してくださった。ありがたかった。
 結婚したら、義兄の身長が私とぴったり同じであった。しかも、独身の一時期、私と同じように柳の木のような姿だったが、その後、奥さんの料理がよほど口にあって大木になってしまったという。それで、いつかやせたら着ようと思って取ってあった背広をみんなくださったので、また伊原さんに直してもらった。柔道をしていた義兄はやせた時でも、私よりは腰回りが大きかったからである。
 その後15年間筆者の体重はどんなに食べても60キロ未満で推移した。60キロを超えることは高校生の頃からの夢だった。ところが、45歳の夏、からだの中でなにか異変が起こったらしく、たった一ヶ月で4、5キロも太り、「夢の60キロ」を軽く突破してしまった。ズボンが苦しい。こんな経験は初めてだった。天高く腹肥ゆる秋を迎えて、いよいよベルトからの反作用がきつくなった。
 そんなある日、当時、望月町に住んでいらした長谷部先生がダンボールをかかえて訪ねて来られた。
 「知り合いの引越しを手伝ったんですよ。その人、おしゃれな人で背広をたくさん持ってるんだけど、太って着られなくなったのを、この際あきらめて私にくれたんですよ。でも、残念、私には着られない。どうです?水草さん、着られますか?」
 ダンボールを開いてみたら、五着ほどの上下が入っている。試してみると、どの背広もあつらえたかのように、筆者にぴったり。驚いた。天の父は、野の草ならぬ水草をもこれほどに装ってくださったのである。

 「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」(マタイ6:28-30)

 オオイヌノフグリ(なんでこんな変てこな名がついたのだろう?)