苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

驚異のランナー東洋大学柏原竜二君

 箱根駅伝をラジオで聞いた。東洋大学柏原竜二君は、昨年に続き、驚異の走りだった。「まったく他の選手とは走り方がちがう」とラジオの解説者が何度も言っていた。急坂では他の選手は這うように登っていくのに、柏原くんは強いけり足でピョンピョンはねるようにして前に前に上に上にと登っていく。
 私は中距離、長距離は嫌いだった。ところが卒業した高校は、よく走らせる学校で、体育の授業の前に一周500メートルもあるグランドを5周か6周走ってウォーミングアップで、そのあと体育の授業だった。冬場になると、毎回の授業で六甲おろし吹きすさぶ中を20周走らされた。10キロである。死ぬかと思った。
 柏原くんはあの箱根の坂道23.4キロを1時間17分8秒で走りぬけた。苦しそうだが楽しそうでもあった。すると、日本人は柏原君を「新山の神」と呼ぶ。困ったものだ。
 日本語で「神」というのは超人を意味するだけの語だということなのか。堀越先生が、旧約聖書エロヒーム、新約聖書テオスを「神」と訳したのは不適切で、むしろ、「創造主」と訳すべきなのだと主張なさるのには、一理ある。驚異のランナー柏原竜二くんは神ではなく、創造主の作品なのである。