メモ7において、今回スタートした裁判員制度の欠陥として、裁判官が「見えないワイロ」を受け取る政府・企業・大銀行を被告とする民事裁判においてこそ、裁判員制度が活用されるべきなのであると書いた。けれども、刑事裁判においても同様の事情があるということを、元横浜地裁判事井上薫氏がその著書において率直に述べているので、ここにその趣旨を記す。
<日本の場合、犯罪の重さに比べて刑が軽い。その理由は、裁判官の最大の関心事が自分の出世にあるからである。人事権を握る最高裁による裁判官評価基準とは、上訴されたことが少なく、上級審で逆転判決が出たことが少ないということにある。上訴や逆転判決は当事者たちが納得していないしるしと見なされるからである。そこで、上訴と上級審での逆転判決が、裁判官の最も避けたいことである。ところで、第一審において有罪判決が出たばあい、上訴をするのは、圧倒的に被告の側が多い。そこで、上訴を恐れる裁判官は、被告人に対して量刑を軽くするのである。>(井上薫、門田隆将『激突 裁判員制度』(pp162,163)参照。)
裁判官は、法律上、「独立」が認められているものの、実際には最高裁が彼らの人事権を握っているので、裁判官たちにはこういう習性が身についてしまっている。というわけで刑事事件においても、官僚裁判官は失点を避けるための前例主義による責任回避と、量刑を軽くすることによって上訴を回避するという手法が常態となっている。ちなみに井上氏は裁判員制度には基本的には反対の立場でありながら、それでも、裁判官の問題をこのように指摘しているのである。私は裁判官たちが特に保身と出世を考えている下劣な人々であると言おうとしているのではない。言いたいことは、欲得を超越していると見られがちな裁判官も、ただの人たちであるということである。そうしたアダム以来の原罪を背負った人間が裁判という務めを果たさねばならないことをきちんとわきまえて、制度を工夫しなければならないと言いたいのである。
門田、井上両氏は、本書に裁判員制度の必要性と問題点、裁判官という人々の特殊性について、たいへんわかりやすく書いてくれている。読者にも一読をお勧めしたい。