苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

みなしご、やもめの訴え

「おまえの君主たちは強情者、盗人の仲間。みな賄賂を愛し、報酬を追い求める。みなしごを正しくさばかず、やもめの訴えも彼らには届かない。」(イザヤ書1章23節)
 近畿財務局元職員故赤木俊夫さんの夫人が、夫の無念をはらすために、森友学園問題の真相をあきらかにしたいと考えて訴訟を起こしました。しかし、首相と財務大臣は再調査するつもりはないと国会で発言しました。しかし彼らは、取り調べを受ける立場の人間ではないか、と赤木夫人が書いています。首相が真っ赤なウソをつき、それをかばうために財務大臣の部下が関係公文書の改竄を部下にするように指示し(おそらく暗示なのでしょうね)、それを実行させられた赤木氏が自殺に追い込まれたという事件なのですから、たしかに、夫人のいうのは正当な主張です。
 イザヤの時代、南ユダ王国は末期症状を呈していました。国家の末期症状のしるしとは、裁判に当たる者たちが賄賂を愛して、みなしご、やもめの訴えを裁判所が取り上げないことでした。みなしご、やもめとは社会的弱者の代表です。社会的強者は自分の財力や権力や暴力にものを言わせて、やりたい放題をする。そんな時代、社会的弱者の最後のよりどころは裁判所でした。しかし、その最後のよりどころの裁判官まで賄賂を取って裁判をねじまげていたのです。ユダ王国はほどなく滅亡しました。特に、ユダ王国には「祭司の王国」として神の御栄光を顕す任務がありましたが、その任務を放棄したからです。
 今、この国の司法が試され、この国がためされています。彼らは良心に照らし法に照らして裁判をするのか、それとも自らの保身と出世のために裁判をするのか。イザヤ書によれば、やもめやみなしごの訴えを退けるような裁判所しかない国家は滅びます。