苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

キリストの道

6:5 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。 6:6 それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。 6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。(1コリント6章5-7節)

 コリント教会の中の兄弟(信徒)どうしの間でもめごとがあり、その解決をこの世の不信者々の法廷に求めたことについてパウロは憤っている。教会の中に仲裁者はいないのか、と。
 さらにパウロは、「俺が正しい。お前が悪い。」「いや、私が正しい。あなたが悪い。」と、善悪を論じて訴えあっていること自体、敗北だという。善悪を論じるのはこの世の神を知らぬ人々の仕事。キリスト者は自分の十字架を背負えばよいのだ。御子の足跡を慕いつつ。