苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

剣を取る者はみな

 今回アルジェリアのテロで、日本人にも10人もの犠牲者が出た。ご本人たちの無念を思い、ご遺族の方々の悲しみを思うとことばがない。
 だが安倍政権と提灯持ちのマスコミが、この出来事を利用して、「それ見ろ、世界は平和ではないのだから、憲法9条を改正し集団的自衛権も行使できるようにしなければならない」という方向へ国民世論を誘導しているように見えることにたいしては、いかがなものかと思う。
 2002年まで、日本人に対するイスラム勢力の好感度は非常に高かった。イスラム世界の人々には、中世の十字軍の蛮行以来、ヨーロッパ人に対する抜きがたい不信感がある。かの時代、文化的先進地域はイスラム世界だったが、ヨーロッパの野蛮人たちは武力でこれを踏みにじった。さらに近代になると欧米は軍事力・経済力をもって世界に拡大して、世界の覇者となった。そういう近代のなかで、ただ日本だけが非欧米人でありながら、明治以降、まずロシアに戦争で勝ち、先の米国で叩きのめされながら戦後復興によって世界第二の経済力を持つまでになった。イスラムの人々にとって、日本はヒーローであった。筆者は、二十数年前、練馬にいたときに訪ねてきたイラン人の男性からもそんなことを聞かされた。彼は不思議そうに言った、「日本人は米国に原爆を落とされながら、なぜ米国が好きなのだ?」と。
 だが、2003年3月以降、日本人もまたイスラム原理主義の標的にされるようになってしまった。なぜか?小泉政権イラク戦争に加担したからである。湾岸戦争の場合は、フセインが父ブッシュの罠にはまったとはいえ、クウェート侵略をした事実があった。だが、イラク戦争において子ブッシュが「フセイン大量破壊兵器を持っている」と嘘を言って先制攻撃をしたのは、まぎれもない侵略行為だった。それなのに、小泉首相憲法9条を軽んじて、即座に米国を支持しイラク戦争に加担したのである。日本はイスラム原理主義に敵対することを公に表明してしまったのである。
 安部政権は、昨年4月27日に出した憲法改正草案のなかで、日本国憲法9条のところに集団的自衛権をおおっぴらに認めるとしている。集団的自衛権というのは、自国に敵対していない他国・他勢力であっても同盟国に敵対していたら軍事的攻撃をしかける権利を意味している。たとえばソ連は、集団的自衛権を口実に、チェコスロバキアソ連傀儡政権を支持して傀儡政権を批判する「プラハの春」と呼ばれた市民運動を弾圧した。米国がベトナムサイゴンの傀儡政権を助けるために内戦に介入したのも集団的自衛権の行使である。要するに、集団的自衛権というのは他人の喧嘩を買って出る口実である。日本のばあい、集団的自衛権とは具体的には米国がテロとの戦いと称して世界のあちこちで行う戦争の下請けをすることを意味している。つまり、日本の防衛とはなんのかかわりもない米国の戦争に日本軍が出て行くということである。そうなれば、ますます日本人はイスラム・テロリストの標的になり、多くのテロの犠牲者が出ることになることは避けられないだろう。
 主イエスは言われた。「剣をとる者はみな、剣で滅びる」(マタイ26:52)。