苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

頭を冷やして、教育勅語とは何か?

朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ紱ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ虗華ニシテ繁育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ紱器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁﨟ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其紱ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

 森友学園の事件で、毎日教育勅語を園児に暗唱させている幼稚園が話題になっているので、少しばかり解説を試みます。

序 教育勅語の本質
 教育勅語は、天皇が臣下である国民に対して与えた、国家神道の経典です。父母の話を思い出して書くと、校長先生が白い手袋をして奉安殿を開き、教育勅語を拝読する間、御真影天皇の写真)に対してずっと頭を深々と下げて最敬礼していたそうです。現人神天皇の写真を見たらいけなかったのです。偶像礼拝です。また、空襲で御真影教育勅語が燃えてしまったら、校長は厳罰に処せられますから、教育勅語御真影を救出するために燃え盛る校舎に飛び込んで死んだ校長もいました。殉職というより殉教です。
 そんなわけで、教育勅語の本質は国家神道の経典だったのだということを外して、教育勅語の中身の道徳的部分だけをつまみ食いして、悪くないじゃんという読み方は、浅はかなことだと思います。よく考えないといけません。
 

1.十二の徳目のうち、議論の的は一つだが・・・
 ある右寄りの論者は「逆教育勅語」なるものを考えだし、「勅語に反対するサヨクは、『一、親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。二、兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟・姉妹は他人の始まりです。三、夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。』と言っているのだ」などと愚かな議論をしています。なぜ愚かかといえば、そんな理由で反対している人など実際にはいないからです。
 それに反発した左の人は「教育勅語は、子どもは親にロボットのように、奴隷のように従えと教えている」などと、これまた教育勅語が言ってもいないことを作り上げて、愚劣な反論をしています。頭を冷やしましょう。どちらも間違いです。
 教育勅語には12の徳目が記されていますが、そのうち11の徳目については、右の人であれ、左の人であれ、「いいことじゃないですか。」というでしょう。創造主が人間の良心に刻まれた心の律法の基準にかなっているからです(ローマ2:15)。11の徳目とは、
 「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ紱器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁﨟ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ」です。つまり、「親孝行し、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友情に厚く、言動を慎み深く、広く全ての人を愛し、勉学に励み職業を身につけ知識と才能を伸ばし、人格の向上に努め、広く世のため人のためになる仕事に励み、法令を守りましょう」というのですから、どれもこれもまあ当たり前の徳目ばかりです。
 徳目のうちで議論の的となるのは12番目です。すなわち、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機が迫ったなら天皇家の永久存続のために戦争に行きなさい)」。なぜ議論の的になるのか?
 一つにはわが国には日本国憲法があって、その第9条で、戦争を放棄しているから、憲法違反だからです。
 二つには、天皇家の存続のために、わが子を喜んで戦争にやるという価値観に納得できる人が多くはいないからです。
 三つには、議論の的は12番目だが、よくよく文章の構造を見ると重大なことがあります。〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉とある「以テ」は、12の徳目、「親孝行」「夫婦仲良く」「兄弟仲良く」なども「戦争に行け」と併せて、すべては「天皇家の永久存続の」という目的のためにあるということであるからです。自分の全人生の目的は天皇家の存続に尽くすことにあるということに賛成できる国民は、たぶん少ないでしょう。

2.「皇祖皇宗」は道徳の模範になりうるか?
 こうした徳目以前に、教育勅語のもうひとつの問題点は、これらの徳目の源泉とされている、前半部分です。「皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ紱ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とあります。「皇祖皇宗」というのは天皇の歴代の先祖のことです。その人々こそ日本国民の道徳の模範だというのです。明仁陛下はまことに尊敬すべき方だと、私は感じ入っていますし、多くの国民も思っているでしょうが、先祖はどうでしょうか?
 『日本書紀』が天皇家の先祖について記しているところを見てみましょう。日本書紀は漢文で書かれているので読むのが難しかったのですが、今では講談社学術文庫に『日本書紀』現代語訳がありますから、私も通読しました。
 第20代安康天皇は大草香皇子を殺して、その妻を自分の妻としました。大草香御子と皇后の子眉輪王は、安康天皇を殺してしまいました。すると、安康天皇の弟は眉輪王を殺しました。安康天皇の弟は雄略天皇となり、自分の兄たちを殺害し、部下をわがまま勝手に惨殺し、自分の求めを拒んでほかの男と結ばれた女性とその夫を焼き殺しました。人は彼を大悪の天皇と呼んだそうです。
 第25代武烈天皇は、妊婦の腹を割き、人の生爪をはいでその手で芋を掘らせ、人を池の樋に入らせて流れ出てくるところを鉾で突き殺して遊び、人の髪の毛を抜いて木に登らせ、その木を切り倒して殺すのを趣味にしていたそうです。
 壬申の乱では、第38代天智天皇の弟大海人皇子は、天皇の息子大友皇子を殺してしまいました。
 こういう天皇家のスキャンダルは、戦前の教育では隠蔽されていたそうです。教育勅語に矛盾するからでしょうね。
 私は、天皇の家系にだけ取り立ててひどい人がいたというのではありません。どの国の王族だって、権力の座を争って骨肉相食むということは起こりがちなものです。いや、王族にかぎらず、私たちの先祖だって数代、数十代さかのぼれば、殺人、窃盗、姦通などの罪がまったく見つからないなどという家系はほとんどないでしょう。
 ここで言いたいことは、「皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ紱ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という作り話に道徳の土台を置くことは無理だということです。


3.教育勅語が作られたわけ
 江戸時代末期、欧米列強が貪欲にアジア全域を植民地支配し、日本にもその危機が迫っていました。ところが当時日本列島は300藩に分かれていて、それぞれの藩に殿様がいて、それぞれの住民は殿様は知っていましたが、江戸の将軍様は遠い存在であり、京の天子様(天皇)のことはほとんど知らず、「日本人」という意識を持っていません。このままでは列強の餌食になってしまいます。
 そこで、明治政府は版籍奉還廃藩置県を実施して列島を一つの国とし、庶民からは千年以上も忘れ去られていた昔この列島の王であった天皇の存在をさまざまな手段で列島住民にPRし、天皇を中心とした国家神道によって「日本人」の意識を持たせようとしたのです。国民教育も国民皆兵もその中央集権化の一貫です。
 ちなみに、国家神道天皇家の伝統ではありません。国家神道は明治に伊藤博文が、欧米列強の精神的支柱がキリスト教だと考えて、そのマネをして作った唯一神教神道(いわば偽キリスト教)なのです。そして、その国家神道の経典が教育勅語です。だから国家神道が出現すると、廃仏毀釈運動が起こって、仏教寺院は大きな被害を受けました。天皇家の伝統的宗教はといえば、聖徳太子以来、仏教でした。東大寺だって聖武天皇が造ったものだと誰でも知っているでしょう。上野の寛永寺管主天皇家から出すことになっていました。神仏習合的仏教が天皇家伝統宗教です。
 天皇が政治的実権を持ったのは奈良時代までで、平安時代は藤原家による摂関政治が行われ、鎌倉時代以降、江戸時代までは武家が政治的実権を握っていました。天皇は、昔、王族であったということで伝統と格式の源泉のような役割を果たして、庶民からはほとんど忘れられていても、武家の人たちにとっては関白だの征夷大将軍だの大納言だのといった律令制時代の官位という名誉を授ける係りとして存続していました。江戸時代の三権分立は、政治権力は武士が、経済力は商人が、名誉は天皇を頂点とする公家がにぎっていたという言い方がされることがあります。今も天皇文化勲章を授ける係をしています。
 大雑把な言い方をすれば、京に都が置かれた794年から1867年までの1000年間、天皇は今で言う象徴天皇でした。象徴天皇制は日本の長い歴史に根ざしたものです。権力に距離を置いた象徴天皇制であったからこそ、天皇家は存続してきたのです。ここは重要なポイントです。
 しかし、明治政府は天子さまと呼ばれた天皇京都御所の垣根から引っ張り出して、いかめしい江戸城の中に住まわせ、軍服を着せ、軍馬にまたがらせてプロイセンやロシアの専制君主風に仕立て上げました。欧米列強に伍するためです。教育勅語(1890年、明治23年)は、そういう時代文脈の中で、富国強兵政策の中で、国民を兵士として染め上げることを目的として作られた国家神道の経典です。
 明治から先の敗戦までわずか数十年間の、政治大権・軍事大権・祭祀権を併せ持つ天皇制は、戦争で敗れれば天皇に責任が及ぶので安定感に欠き、実際、敗戦のときには皇統廃絶の危機にありました。ただソ連への対抗上、マッカーサー天皇制の存続を望んだので、日本側の希望と合致して象徴天皇制という千年余の伝統にかなうかたちに戻って事なきを得たのでした。
 考えの浅い最近の右寄りの人々は、明治のヨーロッパ風の覇王的天皇制や伊藤博文が作った国家神道(似非キリスト教)が日本の伝統であると思いこみ、そういうあり方に戻すべきだと運動しています。これは歴史の教訓からすれば、皇統を再び廃絶の危機に陥れる動きです。彼らは保守を自称していますが、実際には、正反対のことをしているのです。彼らは実は皇統廃絶を望んでいるのでしょうか?そうでないとしたら、まことに的外れというほかありません。