2013年12月1日 毎日新聞
書評
上田誠吉『ある北大生の受難――国家秘密法の爪痕』(花伝社・1785円)
軍機保護法“再来”を認める前に知るべきこと(評:中島岳志)
秘密保護法案が可決されようとする中、振り返らなければならない歴史がある。
宮沢・レーン事件――。
「大東亜戦争」勃発直後に北海道帝国大学学生の宮沢弘幸とアメリカ人教師・レーン夫妻が逮捕された事件である。容疑は軍機保護法違反。当人たちにとって全く身に覚えのないスパイ容疑がかけられ、懲役12〜15年の有罪判決が出た。レーン夫妻は戦中に交換船で帰国。宮沢は網走刑務所に収監され、戦後に釈放されてから間もなく死亡した。
宮沢は闊達な学生だった。東京で生まれ育ったものの、雪と山にあこがれて北大に入学。語学が得意だったため、外国人教師と積極的に交流した。なかでも敬愛したのが英語教師ハロルド・レーンだった。
レーン一家は、キャンパス内の外国人官舎で生活していた。夫妻は毎週金曜日の夜、自宅を学生に開放し、英語で雑談を交わした。会話は登山、スキーから日常生活に至るまで他愛のないものだった。学生たちはレーン夫妻との交流を楽しみにし、異国への憧れを高めた。
そんな輪の中に、宮沢もいた。彼は、大の旅行好きだった。休み期間には、樺太や満州に旅立った。そして、そこでの見聞をレーン夫妻に話した。
しかし、これが問題とされ、宮沢の命を奪うことになる。真珠湾攻撃当日の1941年12月8日、宮沢とレーン夫妻は、いきなり学内で官憲に逮捕された。両者の会話の中に、軍事機密が含まれていたというのだ。
裁判は非公開で進められた。世の中は、彼らがいかなる理由で逮捕されたのかがわからない。何が軍機保護法に抵触したのかもわからない。とにかく何が秘密とされているのかが秘密なのだ。さらに容疑内容も秘密。恐怖心と自己規制ばかりが広がった。
本書の著者は、1980年代になってこの事件を追跡する。しかし、訴訟記録が札幌地検に保存されていない。公開を要求しても、「保管していない」との答えが返ってくるばかりだった。
その後大審院の判例資料から、ようやく容疑が明らかになった。宮沢が千鳥列島に旅行中、船の中で聞いた根室の海軍飛行場のことをレーン夫妻に話したことなどが軍事機密に当たるというのだ。しかし、当時、この飛行場の存在は広く知られていた。秘密の存在という訳では全くなかった。もちろん宮沢にもレーンにも、機密を探ろうという意図はない。旅行の思い出を、何気なく話しただけだ。
戦中、観光旅行先で取った写真に、たまたま軍事施設が写っていたというだけで、次々に一般市民が逮捕された。軍機保護法が恣意的に適用され、人々から自由が奪われた。宮沢は拷問と過酷な刑務所生活の中で体調を悪化させ、釈放後27歳の若さでこの世を去った。
現在進行している秘密保護法案は、歴史の教訓の上に立っていない。宮沢・レーン事件が示すように、処罰の対象は必ず一般市民にまで及ぶ。本人が全く意図しない事柄でも、唐突に罪が着せられ、見せしめ的に逮捕・収監されるのだ。
安倍首相は「罪に問われる場合、(情報を)取得した人自らが特定秘密だと認識していなければならない」と述べているが、「当人が秘密だと認識していたかどうか」を認定するのは捜査機関であるため、いくらでも恣意的運用が可能になる。秘密保護法案は、軍機保護法の再来に他ならない。
我々は宮沢・レーン事件を知らなければならない。本書は、今こそ読まれるべき一冊だ。