苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

特定秘密保護法施行直前緊急集会「抵抗の時代を迎えて私たちはどう生きるのか」

http://www.ustream.tv/channel/iwj7


 本日、表題の会が御茶ノ水で開催されました。先立って、特定秘密保護法に反対する牧師の会の記者会見があり、そのあと田中伸尚氏による「抵抗の時代を迎えて・・・」という講演がありました。
 あくまでも筆者の主観的なメモですが、ここに載せておきます。

1.牧師の会記者会見で、筆者の印象に残ったコメント
●基調:「特定秘密保護法」が可決・施行されたから、それでおわりではない。これを廃止する立法をすればよいのである。あきらめず、粘り強く、廃止を求めてゆきたい。
●「なぜ牧師の会か?」という問いに対して、牧師というのは日本社会ではマイノリティな存在である。そのマイノリティが声を挙げることができるということを示すことによって、呼び水になれたらと考える。」A牧師
●”human rightsとは「人間としての全うさ」”。福島県中通りでは、すでに「戦中」が始まっている。わが子のいのちを守りたいと思うことは、human rightsです。国のため、県の復興のためという大義名分で、子どもを大事に思うという人間としての全うさが侵害されている。秘密保護法が施行されるならば、放射能汚染の実情も秘密にされる。」K牧師
●「特定秘密保護法は、主権在民基本的人権の尊重、平和主義にことごとく反している。」J牧師
●「特定秘密保護法は平成の治安維持法である。かつて治安維持法によって、1941年ホーリネス弾圧事件が起こされた。検挙された牧師134名、起訴された者81名、重刑・獄死者19名、閉鎖された教会は約300と言われる。」S牧師
●「日本は確実に軍事国家への法整備を進めつつある。軍事国家と民主国家は水と油の関係」H牧師


2.田中 伸尚さんの講演の主観的メモ
●「二度と戦争はしない」という戦後精神とともに、「国家は信用できないものである」という国家観を敗戦後、国民はもった。憲法99条で公務員に憲法擁護義務が課されている。
●1982年、歴史教科書問題で「加害の歴史認識」を社会が共有するきっかけとなった。
 しかし、・・・・
●戦後、自民党政府は明治の国民意識の再統合をもくろんだ。つぎの4点で。・・・紀元節元号法、国旗国家、靖国神社国家護持。前の3つは実現した。憲法20条の改憲靖国国家護持を実現しようともくろんでいる。
●いま、私たちはどこにいるのか?
 「ファシズムは一晩で来る」。1999年から急速にこの国は変質して来て、そして安倍政権になり、さらにスピードアップした。国旗国歌法1999年、周辺事態法1999年、教育基本法改変2006年、集団的自衛権容認閣議決定2014年・・・戦争できる国へひた走っている。道徳教育推進教員の導入もまた「戦争できる国」への準備である。
●4点のうち残された最後の一点である靖国神社について、推進派が考えていることは、まず靖国神社の国家的位置づけを国民意識の中に刷り込みつつあり、最終的には改憲によって国家護持を目指している。
●社会は、排外主義・異常な国粋主義の空気。ヘイトスピーチ、在日大学教員に対する名指しの攻撃など。近隣諸国との緊張感をつくっているのは、改憲のためである。
●しかも、現政権べったりのマスメディア。権力の批判というジャーナリズムの精神を失っている。

●先の戦時下ではどういう抵抗をした人々がいたのか?
 桐生ゆうよう「言いたいことではなく、言わねばならぬことを言うべし。」

●戦争国家化の前、平時に、国民の戦意が高揚し燃え上がって消せなくなるなる前に、まさに今、抵抗すること。続けること。けっしてあきらめないこと。
●抵抗の種を育てておくこと。

抵抗すること。続けること。けっしてあきらめないこと。


3.山口陽一師によるレスポンスからメモ
●主イエスは「すべての人を照らすまことの光」である。逆にすべての人に隠すのが秘密保護法。「隠す」ということは罪の本質でもある。
●田中氏は国に立ち向かう「ひとり」に一貫して注目してこられた。ひとりの人の大切さについて、聖書は「神は人をご自身のかたちにおいて造られた。」と述べる。これこそ、ひとりの人の尊厳の根拠である。
 したがって、国のために人がいるのではなく、人のために国がある。国家というものは、創造の秩序に属さず、人類の堕落の結果の手当てにすぎないのである。
●信仰者として御霊の光によって、洞察力をもって今起きていることを見る必要がある。現政権が、神道国家化を目指しているのは黙示録13章に見る現象である。また、原発を外国に売ろうとしているのはマモニズムの現れである。
●今何をするか。あえて、私たちがもっとも大事にしていることを大事にしていく。それはすべてをもって神を愛する者、まことの神「のみ」を礼拝することに徹する。そして自分と同じように隣人を愛すること。誰の隣人になるのか?最も小さい者の隣人に。