苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

やぎ君

16:7 二頭のやぎを取り、それを【主】の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。  レビ記16:7

 小学校六年生のはじめ、児童会で会長選挙があった。私は隣のクラスの人気者の「やぎ君」に一票を投じたのだが、その名を漢字でどう書くのか知らなかった。ふと、数日前、うちの食卓で、父がどういう文脈だったか忘れたけれど、「やぎというのは山の羊と書くんだ」と言っていたのを思い出した。私はそういう漢字があるものだと思い込んでしまった。それで、投票用紙に山偏に羊という奇妙な「漢字」を書いて出した。
 開票が始まった。すぐに「やぎ君」の名が読み上げられて、黒板に「八木」と書かれて、正の字の第一画が書かれた。『あれ、やぎ君は八木君なんや・・・。』と私は内心つぶやいた。あせった。
 何人かの名が黒板に記され、私の名も上がったけれど、やっぱりやぎ君は人望があって「八木」の下にどんどん「正」という字が増えていく。と、たしか島田という女先生が、一枚投票用紙を開いて「あれ?これ何だろう?」とおっしゃった。そして、山偏に羊という「漢字」を黒板に書き写された。
 「あのー、先生。それやぎ君です。」と私がいうと、女先生はとてもおかしそうに笑われた。「なるほど、ああ、やぎ、ヤギね。でも、やぎ君は、八本の木と書くんよ。それからヤギは山羊と書きます。」
 選挙の結果、やぎ君は無事、児童会長に選ばれた。私の清き一票が有効だったか無効だったかは、定かでない。聖書でやぎの話を見ると、いつもあの児童会のことを思い出す。