苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

配剤としての出会い


  (教会の裏山)


 神が摂理のうちに与えてくださる数々の賜物のうちで、出会いは最大のものの一つである。あの時、あの人との出会いがなければ、いったい自分の人生はどうなっていたのだろうと思うことが、どなたにもいくつかあるだろう。
 摂理providentiaは、配慮また配剤とも訳される。配剤というのは医者が患者の体質・症状にあわせて、あの薬、この薬・・と上手にとりあわせることを意味する。私たちのいのちの医師であるイエス様は、私たちそれぞれの症状にあわせて、あの出会い、この出会い・・と取り合わせて、傷つき病んでいた私たちを回復させ、さらにあの御子に似せられるという輝ける目標へと導いてくださる。
 自分自身振り返ると、浪人時代の神戸の増永先生、学生時代の土浦の朝岡先生、津村先生、神学生時代の宮村先生との出会いは、かけがえのないものであり、またその順序が実に見事だったのだなあと思う。
 出会いが神の賜物だとすれば、私たちはどれほど出会いをたいせつにしなければならないことだろうか。きのうから、宮村先生ご夫妻が小海を訪ねてくださっている。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。・・・神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」ローマ8:28,30