「パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。『なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。』
イエスは彼らに言われた。『イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。
「この民は、口先ではわたしを敬うが、
その心は、わたしから遠く離れている。
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。
人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」
あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。』」
(マルコ7:5−8)
ある形式が定められたとき、そこには本来、ある意図があったものなのであるが、時間が経つにつれて、あるいは時間がさほど経っていなくても、それが見失われて、形式のみが絶対化されて残ってしまうということが起りがちである。形式主義である。毎年やっているから、みんながやっているから、といった理由だけで、時代も状況も変わったのに、ただ続けていてそれを行っている者たちの重荷になっている習慣というのは、たいてい形式主義に陥っている。
どうすればよいか?形式が定められた本来の意図(目的)に立ち返ることである。そうして、現状においてその本来の意図にかなった新たな形式はなんであるかということを工夫して改革することである。