苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

この時期に米相場再開・・・餓死者を出したいのか?

 日ごろ、野宿者支援米集めをしている友人の藤田寛兄の投書が朝日新聞に掲載されました。小海の教会も米集めの協力を始めて十数年になります。ここに転載しておきます。

原発事故で炊き出しピンチ
              市民団体主宰 藤田 寛 (相模原市南区 41)
 
 東京都内の繁華街で路上生活を送る人たちに炊き出しを行う支援団体に対して、私は長年、信州から米や野菜などの食料を送り届けている。だが、今年はこれまで通り昨年産の余剰米の提供を受けられるかどうか不安な思いに駆られている。
 毎年、長野県内から無償で譲り受けている古米は約10トン。新米の収穫がはじまる10月前後に集中する。だが、今年は東京電力福島第一原発事故による放射能汚染が食の安全を脅かすなかで、新米ではなく昨年産の古米をまとめ買いする消費者が増えているという。私を知る地域の生産者たちは「今年は順調にコメが集まるかどうかわからないよ。みんな手持ちの古米を高値で売っちゃうからさ」と、気の毒がる。
 8月初旬、東京都庁舎の近くで週1回の炊き出しを行っている支援団体に、600キロの米を渡した。代表者によると、以前の倍近いペースでなくなってしまうとのことだった。2008年の「年越し派遣村」以降、各地で失業者の支援組織が作られたにもかかわらず、行き場を失った地方の若年失業者の都心への流入が止まらないという。
 「藤田さんからの支援米だけが頼りです」と言われ、気持ちがさらに暗くなった。

 7月1日、農林水産省は、戦後初めて米の先物取引を許可した。2年間試行して、その後、本格的に実施するという。官僚たち、政治家たちは、よりによってこんな食糧危機がやってくるかという緊急のときに、なにをやっているのかと叫びたい。相場をする人たちにいわせれば、「このような危機的な状況だからこそ、一儲けも二儲けもするチャンスなんですよ」と舌なめずりしながら答えるのだろう。人々の不安心理が「買い」や「売り」に走らせて、米の相場の乱高下を生み出し、それが相場師たちの儲けにもなり損にもなるからである。人々の不安、社会の不安、天候の不安こそ彼らの飯の種であり、今は国中が原発地震で不安材料だらけだから、彼らにとっては千載一遇のチャンスなのである。
 しかし、小泉竹中改革(=米国からの年次改革要望書にある市場主義経済政策の実施)が意図的に作り出した弱肉強食格差社会のなかで、定職につくことができず食べていけなくされた人々がいる。山谷に出かけると、以前は45歳以上の労働者ふうのおじさんたちが炊き出しに集まって来ていたが、それが十年くらい前から30歳代の背広を着た人々が加わり、そしてここに来て、若年失業者たちが急増している。多くの若者たちは未来を奪い取られてしまった。市場主義経済で走ってきたイギリスでは、職にありつけない怒れる若者たちの暴動が生じている。
 今はJAが不参加を決めているが、このさき本格的に米の先物取引が始まれば、炊き出しのためにこれまで提供されていた善意の米まで、強欲な市場経済が呑み込んでしまうのだ。農林水産省の官僚たちは、一部の強欲な相場師たちを利するために、餓死者を出したいのか。それとも米騒動を引き起こしたいのか?・・・ということでもあるまいが、そういう厳しい状況にある人々がいるということに想像もおよばないのだろう。
・・・ここで独り言をいっていてもしかたないので、もう「死に体」といわれるが、市民運動家の首相に、最後に「唐突な思いつき」に徹して米相場停止を決断してくれと、官邸に投書しようと思う。多くの人の命がかかっている。

  めずらしい八重の桔梗