苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

国のあり方について(その2)・・・英国の市民革命二つ

2.英国の二つの市民革命とフランス近代の比較


 英国では、17世紀半ば、クロムウェルを指導者としてピューリタン革命があった。ピューリタン革命の場合も、チャールズ1世という専制君主を処刑した。しかし、ピューリタン革命はフランスのような合理主義による革命ではなかったので、急性アノミー(無規範状態)には陥らなかった。フランス革命は<王と教会>という聖俗ふたつの伝統的権威を合理主義で倒したので急性アノミーに陥ったが、イギリスのピューリタン革命が王を殺したのは、合理主義によるのではなく、神のみこころによるという確信が指導者クロムウェルにはあった。クロムウェルの共和政は厳格な規範ある神政政治を志向したので、無規範に陥り暴走したフランスの第一共和政とは正反対というくらい違う。
 クロムウェルは王党派の巻き返しを防ぐため軍事独裁共和制を敷いたから、その社会は息が詰まるような道徳的に厳格な社会であったが、長続きはしなかった。クロムウェル後は、イングランド王政復古となって、ジェームズ2世が王として立てられた。しかし、ジェームズ2世はまたも専制政治を行なおうとしたので、議会は彼を排し、オランダからオラニエ公ウィレム・メアリ夫妻を立憲君主として迎え、ジェームズ2世は亡命した。いわゆる名誉革命である。イギリスは革命の打ち止めに成功し、以後、今日にいたるまで安定した社会体制を得た。このように、イギリスでは、王の政治的実権を徹底的に削いで、しかも、王室の伝統的価値だけは国民統合の象徴として利用することに成功した。


 これに対して、フランスは第一共和政後、ナポレオンによる第一帝政王政復古による立憲君主七月王政第二共和政ルイ・ナポレオン第二帝政第三共和政第四共和政とつづき現在第五共和政と、めまぐるしく政体は変革され続け国力は衰えた。フランスの政治的不安定は近代フランスにおける病である。その不安定の理由はいくつかあると思われる。
 ひとつは、タブーであった「王殺し」をしたことである。王制の生命線は、その伝統だから、伝統が途切れてしまったら、その効力は急速に失われる。天皇制を信奉する人々がある程度虚構ではあるが万世一系固執するのはそのせいである。それにルイ16世をギロチンで殺したあと、共和制から成り上がりのナポレオンによる帝政、それが倒れて王政復古・・・と、王や皇帝がつぎつぎ交代したから、彼らは一応、皇帝や王を名乗るけれども、国民の側の意識からすれば、実質的には次々と国民が首を挿げ替える大統領みたいなものであって、伝統の重みがなかった。
 フランスの不安定さのもっと大きな理由は、フランス革命は英国の革命とちがって教会の権威を否定したことである。フランスでは、<王の伝統と教会の伝統>という、聖俗両方の伝統的権威を否定したので、国民は価値の柱を二つとも失ってしまって、無規範状態に陥ったと考えられる。


(注)ピューリタン革命と名誉革命について詳しくはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20101215
<参考> エドマンド・バークフランス革命省察