苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

懸垂逆上がり


 朝の散歩から帰ってきました。最近、散歩に新メニューを加えたんです。それは小学校か中学校の校庭に立ち寄って、高鉄棒で懸垂逆上がりをするということです。
 私は運動のほうは、からっきしだめなんですが、どういうわけか鉄棒だけは小さな頃から少しだけ得意で、小学校の3年生のころから懸垂逆上がりができました。高鉄棒にブラーンとぶらさがって、腕を曲げてからだを持ち上げてくるりと回って上がる、あの逆上がりです。高校のころは蹴上がりなんかもできたんです。体操部ではありませんでしたから大車輪なんて派手なことはできませんが。
 50歳になって、気持ちに足がついてゆかないようになって久しくても、懸垂逆上がりだけはできていたんです。ところが、この冬ふと立ち寄った小学校の校庭でやろうとしたらできない。腕は曲がっても、からだが持ち上がらない。運動でただ一つだけできたこともできなくなってしまった!・・・ま、ちょっとショックでした。
 子どもには、「あ、誇りとしていたものが、はぎ取られたんだね。」と言われました。私が日ごろ、なにか威張っていると、その誇りははぎとられると言っているからです。
 原因は、からだが重くなったことでしょう。それで、なんとか復活をめざして一週間前から懸垂逆上がりを散歩メニューに加えてみたわけです。三日前から、一応できるようになりました。でも飛びついた勢いをつけてなので、厳密には回復していません。高鉄棒にぶらーんとぶらさがって、そこからからだをおもむろに持ち上げて、・・・そうだな3回続けてできるようになりたいものです。それが夏の終わりまでの目標。・・ああ、でも、神様に感謝して、謙虚な気持ちで。そこで、ちょっと大げさですが、聖書のことば。

「人の心の高慢は破滅に先立ち、
 謙遜は栄誉に先立つ。」箴言18:12