きのう、きょう、小海宣教20周年記念旅行ということで、教会の17名の兄弟姉妹で飛騨の百年の歴史を越える日本同盟基督教団の三つの教会をバスで訪問してきました。運転は、教会役員のⅠ兄のありがたいご奉仕でした。
昨日(3日)の夕方は神岡教会でした。古川弘幸牧師は下呂教会の応援でご不在でしたが、奥様と元気な娘さんが迎えてくださいました。神岡教会は、109年の歴史だったかな(数字弱いので)。地域にしっかりと根ざしているようすがうかがえてうれしかったです。その昔、神岡に水道を引いた功労者が宣教師の協力者であったことで、町の中心部に教会堂用地を買うことができたということでした。また、神岡大火で焼け野原になってしまったとき、高山から駆け付けた牧師が、町の再建のために親たちが忙しかった時に、その子供さんたちを預かったことから、町の人々に感謝され、その後、保育園となっていったこと。そのときの園児の一人が、今、91歳のおばあちゃんの教会員であることなどをうかがいました。また、地域の人たちが教会の近所の坂を「キリスト坂」と通称するのだそうです。
十数年ぶりにおめにかかる奥様が、しっかりと神岡の地に根ざして、喜んで、古川牧師をささえていらっしゃることがうかがえたことも、とてもうれしく頼もしかったです。
神岡を訪ねたあとは、バスは夜の峠を越えて古川に向かいました。古川駅すぐそばの大村屋旅館に泊まりました。役員会は一番宿泊料が安いということで宿屋を選んだので、たぶん古〜い旅館ではないかとびくびくしていましたが、おそらく築五年以内のとてもきれいでこじんまりした旅館でした。貸切になったので、伸び伸び使うことができました。夕食は食べきれないほどたくさんの料理を用意してくださり、朝食もたっぷりでした。夕食後、部屋に分かれて、ふとんにひっくりかえって、八重の桜を見たり、日本シリーズ最終戦を見たりして、寝ました。
今朝(4日)は、希望者は6時から古川散歩をしました。静かな格子戸の続く美しい町並みが全体として、飛騨の匠たちが丹精した芸術品のようでした。美しい水路には鯉が泳いでいました。
朝食をすませて、8時に二つの十字架の塔が印象的な古川教会を訪ねました。宿から十分ほどの距離です。高橋先生ご家族が迎えてくださいました。(神岡教会の牧師は古川弘幸師、古川教会の牧師は高橋愛一郎師なのです。ややこしい。)古川教会には、高山・神岡よりも明治の信徒・宣教師・牧師たちのたくさんの珍しい写真が残されています。それは古川教会のメンバーのなかに写真屋さんがいたからだということをうかがって、なるほどと胸に落ちました。
古川という町は飛騨の匠の町として古い伝統と誇りに満ちた町で、よそ者はなかなは入るのがむずかしい町だそうです。明治に宣教師がはいってきた当時、古川では、神岡(当時は船津)とちがって、キリスト教は非常に毛嫌いされ、宣教師は石や瓦を投げられるようなこともままあったそうで、例のベルクストローム宣教師が泥酔した仏僧に日本刀で切り殺されそうになったというのもそうした迫害のひとつでした。転機となったのは、古川大火で、町が灰燼に帰したことで、その後、教会堂用地を得ることができたとのこと。
古川では、そのあと、匠文化館を訪ねました。古川の宮大工たちは京都、奈良の伝統的建築を支えてきたのですが、その技術が失われることがないようにという意図で作られたこの匠文化館は建物自体、くぎを使用しないで建てられたそうです。中にはさまざまな大工道具、実にさまざまな木組みが展示されていて、修行中のうちの次男にはたいへん勉強になったようです。見学がおわると、みたらし団子を食べて、古川の町をぐるりと回って、バスに乗りました。
そして、バスは高山へ。峠を越える車窓から見える山々は五色に彩られてまことに見事でした。白い壁に緑の屋根の高山祝福教会(旧称 高山教会)に到着すると、奥深山ご夫妻が迎えてくださいました。内部にはいると、ぜいたくに無垢材がもちいられている会堂で、礼拝堂の舟底天井は木組みが見えるようになっています。礼拝堂の入り口の上には、賀川豊彦の書いた「献身犠牲」という大きな書がかかげられていました。食堂に移ると、「お宝」を見せてくださいました。その中でもぴか一は、フレデリック・フランソン自身がギリシャ語と英語でみことばを記した色紙でした。箇所は第一テモテ4章5節、第一ヨハネ書2章15節。
その後、私たちは高山の中心地へと歩いて行き、自由行動で、好みの食事を取り、ある人は陣屋(幕府直轄代官所)、ある人はおみやげを買いにゆきました。私は高山ラーメンと飛騨牛串焼きで腹ごしらえをしてから、陣屋をじっくりと見て回りました。陣屋は迷路かと思うほどひろく、見るべきものがたくさんありました。建物は平屋で広壮なものではありますが、華美ではなく武家屋敷らしく質実なものです。庭園の紅葉が目に染みました。展示物のなかで、私にとってとくに印象深かったのは、切支丹宗門はご禁制であるという高札と、切支丹を密告したものには賞金が用意されているという高札でした。
その後、お土産を買いに外にでると雨が降り始め、雨宿りをしながら買い物をして、雨が止んだら高山教会にもどり、先生ご夫妻と息子さんに見送られて、バスは赤や金色に染まった美しい安房峠を越えて、信州に戻ってきました。小海に到着するときには、この季節ですからとっぷり日が暮れた感じで7時でした。
楽しく、有意義な飛騨旅行でした。
古川先 生ご家族、高橋先生ご家族、奥深山先生ご家族
今しが た、小海の教会にバスが到着し、感謝のお祈りをして解散しました。
今回飛 騨高山の三つの教会を訪れることができて、教会の兄弟姉妹とともに地方伝 道への志ということをもう一度熱くさせていただいたことを心から感謝します。あたたかく私たちを迎えてくださった先生方の笑顔とご愛を感謝します。
先生方 の宣教と牧会のわざが、さらに祝福されますように、お祈りいたします。
主にありて
小海キ リスト教会 牧師 水草修治 兄弟姉妹一同