苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

信仰・愛・希望の福音(抜粋)

2011年11月27日 小海主日礼拝

 小アジアのコロサイの町からローマにいる未決囚のパウロのもとに派遣されてきた人(味方なのにテキコ)から、彼らの信仰と愛のようすを知らされて、パウロは感謝を表している。ローマとコロサイは決して近い距離ではないし、パウロはコロサイに出かけたことすらないのであるが、キリストにあって聖なる公同の教会、神の家族としての交わりがそこにある。空間を超えて、時間を超え、天と地との境さえも超えて、キリストにある交わりは豊かにひろがっている。キリストを信じることは「狭き門」だが、入ってみると、その家はとても広い。
 コロサイの兄弟姉妹は主イエスからパウロパウロからエパフラスへと渡された福音を聞いて、「キリストにある」信仰、キリストのいのちに結ばれた信仰をいだくようになった(過去)。その結果、「キリストにあるすべての聖徒を愛する愛」がそこに生まれた。まだ会ったこともないパウロのもとに、必要なものを集めて「今」、テキコに託して持たせているのは、その愛の具体的表れでなくてなんであろう。この信仰と愛とは、やがて迎えに来られたキリストから賜る祝福への望みに基づいている。今の世にあっては私たち自身の愛も不完全であるし、この世に社会正義をもたらす戦いも勝利するとはかぎらない。しかし、今の世の自分の罪や社会の不正義との戦いは、次の世の予行演習である。予行演習なのだから、リラックスして、大胆に、そして忠実に生きていこう。
 パウロ、エパフラスと同じように、私たちも信仰と愛と希望の福音をになって、世に派遣されている。忠実に、そして、楽しみながら、この福音のあかしの生活をしてゆきたい。