苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書で原発を考える(その3)・・・「バベルの塔」:国家権力と原発

3 バベルの塔・・・国家権力と原発

 創世記10章には、大洪水の後にひろがった諸民族の系図が記されていて、12章にはバベルの塔で諸民族が生じて各地に分かれ住むようになった原因譚が記されている。
 11章8節には注目すべき名ニムロデが記されている。
「クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから『主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし』ということわざが起った。彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。彼はその地からアッスリヤに出て、ニネベ、レホボテイリ、カラ、 およびニネベとカラとの間にある大いなる町レセンを建てた。」(創世記10:8−12)
 ニムロデは地上で最初の権力者であり、シナルの地を拠点として、次々に都市を築き、さらに版図を拡げていった。権力者は剣でもって国家を組織する。12章に出てくるバベルの巨大な塔は、その国家権力の誇りの象徴であり、神像であった。権力者は、軍備と富と文明の技術をもって自らを飾り、侵略して版図を拡げ、民の上に君臨する。権力者の傲慢は、「天」という神の領域までも侵そうと考えたほどであった。

「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。 (創世記12:4)

 善悪の知識の木から実を取って食べ、神の自分に対する主権を拒否して自律を信じたアダムとエバ、兄弟を殺して神に背を向けて去り町を築き文明の利器をもって自らを慰めたカイン以来の反逆の精神は、国家権力というかたちできわまった。バベルの塔は軍備と文明と富を手中にした国家権力の自己神格化の表現である。
 岸信介中曽根康弘福田赳夫安倍晋三たち、声高に愛国心を言い立ててきた国家権力者たちが、原発を推進した人々であったことに多くの人は気付いているだろう。しかもCIAのエージェントであった岸をはじめとして、彼らは親米愛国というスタンスであった。岸の孫にあたる安倍晋三は、今回の福島第一原発の破綻の多くの責任を直接的な意味で負っている政治家であるが、この事態を受けてなお、「地下原発」推進を唱えている。(岸信介児玉誉士夫正力松太郎がCIAのエージェントであった事実については、こちらを参照されよ→http://blog.goo.ne.jp/ucandoittaku/e/3723ccfc022eacaf4ee809188f2c32e6
 原発は、本来核兵器の材料を作り出す道具なのである。安倍晋三内閣官房副長官当時の2002年5月13日に早稲田大学で行われた講演で、「日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介)総理答弁で違憲ではない、と言う答弁がされています。」と述べている(サンデー毎日2002.6.9)。岸は、原発について、わが国が潜在的核兵器保有国であるために必要であるという趣旨のことも述べている。中曽根康弘は佐藤内閣の科学技術庁長官時代に、核武装の研究をさせていたと2007年2月号『正論』で振り返っている(http://seiron.iza.ne.jp/blog/entry/92187/)。このように原発は、核武装をもくろむ人々によって国策として推進されてきた。
 国家権力の強大さを誇るためのバベルの塔は、神の介入によって建設は中止されて砂漠の中に崩れ去っていった。「安全神話」のベールで飾られていた原発は、そのベールを剥ぎ取られて、それが核兵器の材料製造機であったという由来を露わにし牙をむき出してしまった。