人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。箴言16:9
本日のデイリーブレッドに引用されたみことばです。
神学の営みということが、時に、神を自分の考えた枠組みの中に押し込めようとするものになってしまうことがあります。たしかに、神は聖書のうちにご自分とご自分のみこころを私たちが知ってよい範囲で啓示してくださいましたから、私たちは聖書を丁寧に読んで、その真理を整理することは許されています。けれども、神学の営みは聖書のマニュアル化のようなものだと思ったら、根本的な間違いです。聖書自体が、それを拒否しています。
私たちは、聖書のみことばに耳傾けつつ、その都度、活ける神と向かい合うことがたいせつです。
荒野で民が水がないと騒いだ時、主はモーセに岩に命じよとおっしゃったのに、モーセは岩を打って水を出そうとして、主に叱られてしまったという出来事がありました。モーセは以前に、「岩を打て」と命じられて水を出した経験があったので、今回も同じことだと高を括ってしまった結果でした。
キリスト者としての生活が長くなってくると、主のことばをちゃんと聞かず、自分の過去の経験に頼ってしまうということがある。それではいけない。その都度、主の前にへりくだって耳を傾けよ、ということを今朝教えられました。